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人の振り見て我が振り直せ

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先日ステーキを食した。ワインはスイスでお土産に買ってきた2009年産テッシンのメルローであった。流石に本場ものだけに満足したが、よい年のドイツのそれも濃くといい深さといい負けないのを確認した。価格もスイスフランが高騰していることから、ドイツのそれは決して高くはない。

その前には鳥のむな肉の残りがあったので、ラインガウのマンベルクに合わせて、ザウワークラウトの上に乗せた。鳥といえばブルゴーニュ風が有名であるが、リースリングとも上手に合わせられる。

東電の記者会見を観た。興味深いのは先日来話題となっていたもう一人の田中さんこと、田中昭の質問と東電の謝罪であった。中性子の観測に関しての見解で、当日も再臨界ならば中性子が一万倍も観測できると言う根拠付けをして、再臨界の可能性を否定したその舌も乾かぬうちに、中性子の観測体制が出来ていないことを語らさせた功績は大きい。

東電の謝罪は、3.11当初からの中途半端な説明に対してのものであるが、実は今回の「自発核分裂」説へのその根拠自体が如何にデマカシでしかないかを語らせた。

件の田中氏は、統合会見への参加基準を満たしていないとしてつまはじきになっていて、最近は園田政務次官に排水を飲ませた張本人ともされているようだが、その質問の主旨や東電への「嘘つきの犯罪者」呼ばわりの主張には一点の曇りもなく、とんでもない理不尽な東電の説明を垂れ流しているNHKをはじめとするマスメディアの記者よりも明らかに論拠に筋が通っている。如何にあの連中がまともに思考していないかが分るのである。

それどころか、おかしな農村ヤクザ社会主義の一派である小沢何某の手下が集まる自由報道協会を批判しているのが良い。田中氏の平等党とかの政治主張を読んで不都合を感じる者は寧ろ小沢何某らの幼稚で大正デモクラシーの受け売りのような古臭い政治思想の相似をそこに見出すに違いない。

如何に日本の政治が稚拙であるかは、所謂アカデミズムの問題であり、それは松下政経塾の連中の主張や政治姿勢の幼稚さにも表れているのである。人の振り見て我が振り直せである。

さらに本質に迫ると、田中昭ら疎まれている一派の言葉使いが、彼らの主張から演繹されるのだろうが、ぶっきらぼうであり、「日本語」になっていないために一般社会には受け入れられないのである ― それ以上に無駄に敬語を使おうとしてまともにも使えない連中の顔を見るが良い。もし、彼らの言い分が英語をはじめとする西洋言語を使って自らの言葉として世界に向けて発言されるとするならば、NHKの山崎氏などの発言よりも、その見識や教養は別としても、遥かに論理性に満ちた質問として捉えられるに違いないのであり、如何に東電などの慇懃無礼な言葉使いが曲者であるかが分るだろう。

もはや、志賀直哉ではないが日本語などを使っている限り、まともなジャーナリズムは愚かアカデミズムも成立しないことが分るであろう。要するに合理的に思考するためには、日本語が変わらなければいけないのである。その意味からも、中途半端な不明瞭な言葉使いで人民を誑かしている小沢何某のような一派が農民を祖先とする八割の選挙民に支持され続けて存在する限り、日本の文化や民意などに一切の向上は今後とも期待できないのである。



参照:
平等党報道部 (平等党)
2011/11/03 18:00~ 東京電力による「原発」に関する記者会見(午後) (IWJ)
情報の集約を阻止する運動 2011-10-30 | 文学・思想
自由報道協会のやらせ会見 2011-10-21 | マスメディア批評
没落への日本近代史を読む 2011-09-13 | 歴史・時事
同じ穴の狢を炙り出せ 2011-10-14 | 雑感
議論を喚び起す試算の公表 2011-08-26 | 文化一般
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アポカリプス・ナウ 2011-11-01 | 暦
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by pfaelzerwein | 2011-11-04 05:57 | マスメディア批評 | Trackback
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