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そう言うことなのである

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待降節前の日曜日、つまり教会暦の最終週となる。永遠の日曜日とか死者の日曜日とか呼ばれる日である。十一月は死に色添えられた憂鬱な月で、今年は極右翼団体の連続殺人犯の自殺などもあって、クリスタルナハトの日曜日である半旗が翻る国民懺悔の日が現実感を持った。過去に遡る犯罪であるが、予想以上に大きな地下団体が二桁に昇るような数の外国人を射殺していたようで、ミュンヘンの確かオクトバーフェストでの事件は記憶がある。女性が絡んだ事件として、婦人警官が女性らしきに射殺された事件がハイルブロンであったから当局も本腰になったが、実際には内務省は外国人排撃殺害に関する情報を握っていたともされる。

「大地の歌」の話題から、「離郷」、「永遠の生命」へと連なるが、まさにそれを死から生、復活と読み替えてもよい。嗚咽は、子供が寝起きに泣き喚くように、もしくはその残像を思い描くかのような誕生であり、別離であり、母体回帰のような永遠の循環へと連なるのである。

まさしく、ラッツィンガー教授が記すような、洗礼の意味はあの水の中での呼吸の出来ない息詰まり感を再体験することであり、福島をしてアポカリプスナウとするのはそういう意味でもあるのだ。嗚咽である。

コーヒーとクロワッサンを携えて、山の上に上がった。マウンテンバイクに追いつこうとピッチを上げて登ったのだが一時間ほど経過していた。頂上の見晴台の上で朝食を取ろうと塔に登りかけると、蛸親父のようなのがジャージ姿で現れた。驚いたことに山岳協会の地元の仲間である。前回別れたのはフランスのシャモニ渓谷であった。この朝から物好きはやはり仲間であった。彼の名言は、「恐怖心を克服しようとするからクライミングなどにはまる」と言うのがある。二十八分で違う谷から登ってきたと言う。還暦も遠くない初孫が生まれたおじいちゃんであるが、血色も良い。若いうちはあれほどのトレーニングもしていなかったに違いない。

ボージョレー・ヌーヴォーは、2011年産の特徴を体現しているとみた。なによりも色が濃くて、このような色のヌーヴォーは見たことが無い。それを反映して濃くもあって、頭が痛くならなければお買い得である。要するに開花が早く、八月には完全に熟成しているガメー種などで、殆ど通常のワインに出来るほどの熟成度で醸造できたのだろう。色が濃いと言うことはそういうことである。



参照:
万霊節への静かなざわめき 2011-11-02 | 暦
シスマの危機に脅える教会 2009-02-05 | 歴史・時事
教皇無用論のアカデミスト 2007-05-10 | マスメディア批評
ヌーヴォーパーティー2011 2011-11-18 | ワイン
アポカリプス・ナウ 2011-11-01 | 暦
七級庇越えの筋肉痛解し 2011-11-20 | 生活
by pfaelzerwein | 2011-11-21 04:42 | | Trackback
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