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プルトニウム爆弾の特許申請

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1938年秋にオットー・ハーンが核開発の第一歩を拓いた。それと同じようにハイゼンベルクの弟子であるフォン・ヴァイツゼッカーが1940年にウランの原子力炉を使用してプルトニウムの原爆化に従事していて、プルトニウム爆弾の特許を申請している。実際に彼らは戦後英国で強制収容所送りとなっているのである。

1941年に二人はニールス・ボーア博士をコペンハーゲンに訪ねたエピソードは有名であるが、同じように考えられている二人の立場は大分異なっていると、マックス・プランク研究所の科学史のホフマン氏は、ハイゼンベルクの私書を参考にして書いている。

つまりあくまでも自然科学者としての立場を逸脱しようとはしなかったハイゼンベルクに対して、現役トップ外交官を父親に持つフォン・ヴァイツゼッカーは核爆弾の政治的な力を十分に承知の上での研究であったと言うことである ― そのようなことは改めて論ずるまでも無く研究テーマに即ち学術的思考内容に表れている筈だ。

フォン・ヴァイツゼッカーの弟である後の連邦共和国大統領と二人揃って、シュテファン・ゲオルクの一派に青年仲間として活動していて、そこにヒトラー暗殺未遂のフォン・シュタウフェンベルクなどが居たことは既に詳しく書いた。その状況を鑑むと、なにもそうした特別な想いが突飛には思われないのである。

11月に入ってロンメル将軍の回顧ドキュメントがZDFで放映されているようで、当初危惧されていた英雄化とは異なりなかなか良い出来になっていると言う。

こうしたジャーナリズムや学術的な分析が出来てこそ、初めて自己文化の提示と継承が可能になるのである。自己分析とそれを分り易く議論か出来るジャーナリズムがない限り文化の保全なども不可能なのである。

原子力を自らの発明と考えているドイツ社会であるからこそ、その利用形態である原子力発電や核兵器の扱いに関しては ― 恐らくC兵器に関しても ―、 非常に敏感な反応を社会が見せるのである。 



参照:
Wer nicht das Gleiche glaubt, ist auszurotten, Dieter Hoffmann, FAZ vom 16.11.2011 (The MPIWG in the Media, pdf)
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