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フクシマ後にうつる青写真

フクシマを通して日本研究は一躍精度と深化を増したように思う。日本学のみならず社会学的な分野での更なる研究成果が期待されるところである。

日曜日の夜の独公共放送第二TVのニュースでは日本特派員ヨハネス・ハーノが「津波後の日本」を伝えていて、同時に既に紹介した「フクシマの嘘」の視聴を改めて広報していた。

特派員は技術国日本の現状を手短に説明するのだが、なによりも見捨てられた被災者の政府への不信感などで、日本社会が大きな変化を迎える契機となるだろうとしていた。ひょっとすると新しい時代への。

なるほど、情報の隠蔽と操作の存在とその背後にある官僚を主体とした為政者の権力構造が奇しくも原子力で照らし出されて、今は殆どの有権者がそれを知ることになる。もはや、政治家や官僚のみならず、専門家と呼ばれる大学の研究機関や高名な教授が発言してもその科学的な根拠の背後にある金の流れや権力構造を同時に測ることになり、スポンサーや電通などの広告会社に動かされた商業報道機関のみならず共に記者クラブを構成する公共放送機関からの情報も眉唾物となっている。

しかしそれでも東欧諸国や北朝鮮の国民のようにそうした報道の裏側を読む長い経験もないので、情報の扱い方に慣れていない。歴史的な政治社会体制から日本のそれを東欧の国と比較して来たが、例えばネットを通しての情報収集力は全く異なるとしても連帯当時のポーランドと比較して現在の日本のそれはそれほどに進化しているとも思えないのである。現在のハンガリーの国民は、少なくとも日本の国民よりは十分に賢明であると思われる。

先にもマンハイムでの展示会での日本の近代黎明期の写真について触れた。同じ頃の写真が今ヴェネチアの展示会で紹介されているそうだ。その写真とは既に見たようにカラー写真なのである。白黒写真に混じっているカラー写真の数々である。

世界で最初のカラー写真はコダックでもアグファのそれでもなくて日本で写された飛脚や火消しや芸者などの写真であったのだ。勿論化学的に焼き付けられたのではなくて、手書きで着色されたのである。

日本の写真の父上野彦馬に代表される技術はコルフ島育ちのヴェネチアの写真ジャーナリストで戦争写真家のフェリーチ・ベアートによって日本へ伝えられて、オーストリアのフォン・ラテニッツなどと共に横浜で多くが制作される。そこから1870年当時の宮島の海や鳥居の色彩などが世界中に伝えられることになる。

1885年の日下部金兵の写真として全身刺青の丁髷褌姿の飛脚のカラー写真があり、竹の先に御用と記された書状を挟んでいる。所謂公的な文書を一っ走りして届けるのだろう。もはや明治十七年のことであるが、こうした写真で見るように庶民の生活はなにも江戸年間と変わらず、一部の士族などの知識人が様々なことを学んでいただけなのである。そうした状況は今でも全く変わらないのである。もしかするとドイツにおいても同じかもしれない、エリートの育成が教育の一番の課題であるからだ。あのような大統領しか選出できないことに全てが表れている。

そこから更に百年少々しか時代は経過していない。それほど高度なことを日本の市民に期待するのは間違っているのだろうか、東欧の彼らに急激な社会的な進化を期待しても仕方がないようにである。



参照:
Japan in stillem Gedenken (ZDF MediaThek)
Übers Papier gestrichelter Regen, Bettina Gockel, FAZ vom 7.3.2012
先進工業国初の原発零? 2012-03-11 | マスメディア批評
創造する首が無ければ 2012-01-31 | 文化一般
by pfaelzerwein | 2012-03-13 04:11 | 文化一般 | Trackback
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