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ラトルが語るその辞任の真意

サイモン・ラトルが、フィルハーモニカーの監督辞任を公にしてから、はじめてその心境を語っている。ベネディクト16世の辞任劇と前後して並び称されるが、お互いに電話で連絡しあった事実は全くないと誓う。そこに英国人らしいジョークも並ぶが、なによりもレトリックが面白くて、その人格や人間性をじっくり味合わせてくれて、彼が若い頃に身近に醸し出していたその雰囲気と全く変わらない。その彼も契約が切れるときは64歳となるのだ。

ジャネット・ベーカーと最晩年に共演した際に、リハーサルでは押さえることしか出来なかった例を挙げて、彼は「ベルリンは最晩年の自らのエポックではない」と悟り、五年の猶予期間を与えて辞任するその心境を明かす。個人的にも若い家族の将来などを考えたようであるが、我々読者にとってはやはり芸術的な決断に興味がある。

そこで婉曲的な表現で、あまり長く居座ると敵を作るだけだという芸術とはあまり関係ない政治的な話題として語りだす。その代表例にジョージ・セル死去直後のクリーブランドの管弦楽団の様子を回顧して、故人に禁止されていたひげを伸ばし続けていたコンサートマイスターの状況から「狂っている」と斬る ― この発言は文化的な行間を読むととても意味深い。つまり髭を生やすというのは恐らくオーソドックスユダヤ人を指す訳で、ユダヤ人として辛酸を舐めた指揮者がそれを禁じていて、その反発がこうして表れたとしても、その指揮者がアメリカの工業都市で芸術的に行おうとしたことなどの裏の意味がそこに見え隠れするのではないか。

間髪をいれずにインタヴューアーは、そうした「権威と芸術の質の関係は一概に言えない」としてもと、「ベルリンにもカラヤンの亡霊がいて」と振ってくる。それに対して、「昼飯に誘ってくる」と冗談で切り替えしてから、政治と同じで民主的な解決法しかないことを再確認する。

その後の将来の計画に関しては未定としながら、バーミンガムで18年、ベルリンで16年となるので、その決算を尋ねられるが、最後の五年間を含めての出来たこと出来ないことへの具体例を挙げるが、それ以上は辞めていく人に語らせても詮無いことであろう。

辞任表明後の最後のステップへの始まりとして、バーデン・バーデンでの復活祭音楽祭開幕への思惑を質問する。一言で表わすと、ザルツブルクからバーデン・バーデンへの移動での政治的な渦もさることながら、実際的に良い歌手の確保という点でモーツァルトが残された選択だったとして、やりたくてもヴァークナーは不可能だったことを明かす。

その上で、ブルーノ・ヴァルターの言葉を引用して、ルーティンになるような上演ならやるべきではないとして、アンドレアス・メルヒツェブハウザーが見つけた演出家との協調で具体化したと明かす。そしてフィルハーモニカーとしてはトーマス・ビッチャム指揮の録音などの歴史があっても現在に活きているとはせずに、寧ろ最も成功していた上演としてグライボーンでのハイティンクの指揮だと挙げるのだ。

最初の一瞬から変えるその音楽に言及して、「イドメネオ」などのオペラセリアではバロック様式の事前の歴史があったにも拘らず、「魔笛」は新機軸であり全く新しい芸術的な境地へ向かっていた作曲家に是非細かな部分を直接尋ねて見たいと打ち明ける。その意味から、地獄的な「コシファンテュッテ」のフィナーレから、全てが開かれたままの男女の姿を「魔笛」に追い求める。

こうして交響楽団活動を社会の中の芸術活動として実践する。その中で、歴史的記念物となったシャローンのフィルハーモニーを響きの場としてラウムクラングプロジェクトとして活用する。こうした活動こそ、過去の遺物である管弦楽団の現代的な意味であることに間違いないのである。



参照:
Das dunkelste C-Dur, das je komponiert wurde, Eleonore Büning, FAZ vom 14.3,2013
文化の「博物館化」 2004-11-13 | 文化一般
ラトルの投げやりな響き 2007-07-03 | 文化一般
詩的な問いかけにみる 2007-07-09 | 文化一般
復活祭への少しの思い入れ 2012-03-16 | 暦
by pfaelzerwein | 2013-03-15 23:48 | 文化一般 | Trackback
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