春への期待が膨らむ日々

冬シーズン第10日目は大きなものをやったが、最後から二つ目にザイルを掛けられなかった。ホールの天井で力が尽きた。少しくらいクライミングダウンして落ちた。力が尽きた理由は、その庇の下の横への一歩に無駄な力を使ったのと、何時もの相棒の確保ならば上手に横への張力を出してくれるのだが、慣れていない者だと難しい。更にその前の長目のルートで同じ確保者が相棒とお喋りに夢中になっていたので登り直さなければいけなかった。何時もを知っている親仁が同情してくれた。その後に登った初物はまあまあであったが、片から腕の負担が限界であった。

第11日目は先ずは5.10の垂壁を片づけたが、二か所はザイルを掛けるのが難しい。手掛かりが遠いのである。これは仕方がない。もう一つの5.10bはやはり上部のサイドからザイルを掛けるのが遠過ぎる。最後に5.10dを登ったが、これはもはやチョーク無しでは手掛かりが滑ってしまって使えない。滑らなければザイルを綺麗に掛けることが出来そうである。更に上の二つのそれにも共通するが綺麗に体重移動させるには今使っているスカルパのヴェローツェでは上手く乗り込めない。年内はもう少し試してみて、マグネシウムともう少し良い靴で熟せる程度を確認しておこう。オヴァーハング用の靴を購入するかどうかも考えどころである。

何故か若干体が重い感じがしている。また昨年のジーンズの太腿がフィットするようになっているのに気が付いた。飲食量は増えていることもなく、夏ほどではなくても運動量はそれほど落ちているとは思わない。一つは筋肉量が増えてきているのだろうが、来年の春までどのような経過を辿るかである。

嵐が去ったとか安倍首相は語ったようであるが、今までのように国会の採択に持ち込めば官僚組織の勝利のような状況を変えるだけの、市民運動の波は押し寄せてきているようだ。あれだけ整然とした抗議行動は世界のどこにも無い訳一方、そこで掛かる掛け声などに内閣の連中の意識などとは異なった知性が感じられるのである。なるほど抵抗するのは帰来の自由を侵す力そのものに対してなのである。行動の中心となっているのは学生紛争以降の反動の教育を受けてきた年代ではあるのだが、そうした荒野のなかでもしっかりとした蕾が摘み取られることなく根を生やして来ていることに、将来への希望を春への期待を感じるのである。

山本太郎などは選挙協力による権力奪還を訴えるが、現在の不公平な選挙制度の中では民意を反映した議会などは成立しない。選挙制度改革への臨時政府などが設置されない限り議会制民主主義の真の代議士制度の実現はとても難しいのではないだろうか。

車中のラディオで、フォルクスリードつまり民謡の話題を聞いた。その多くは、言論の自由などを訴えるハムバッハ―城の行進に歌われたような起源をもつということで、その音楽と詩がとても重要な意味合いを持つ。



参照:
期待される日本の夜明け 2013-12-06 | 文化一般
実力行使の民主主義 2013-12-05 | 歴史・時事
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by pfaelzerwein | 2013-12-07 23:04 | 雑感 | Trackback
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