細川候の持続的環境意識

久方ぶりにワイン地所を散策した。僅か三四十分であったが、それなりに気持ちが良かった。最近は時間があれば走っているので、このようなほっとする時間があまりないのだ。ゆっくり走りながら考え事もすることも出来るようになったが、やはり歩くときとは大分その思索内容が違う。

地所を歩いていてそこの新たな変化に気が付くこともあるが、なによりも驚いたのが、マリア塔の下の土手の草木が刈られていることだった。なるほどその斜面一帯は一切手が入っていなかったので、密生した蔦や木など生い茂っていたのだ。その一部は野鳥の憩いの場所となっていたのは知っているのだが、恐らく全て刈り取られるのではないかと思う。

これを見て直ぐに細川候の外国人記者クラブでのインタヴューを思い出した。それは、氏のスローフード哲学の内容を吟味してからだった。今回の都知事への候補での意味合いは文化的にはそこにあるからでもある。

予てから、なぜ欧州の森は下木が整理されていて歩きよく、なぜ日本のそれは原生林でなくとも歩くことも出来ないほど密生しているかに興味があったのだ。その理由は、欧州の森に放牧地のアルムのように手が隅々に入り伐採と植林の営みがあるからだということは十分に理解しているのだが、この僅かな場所で手つかずにおかれると車道の横でもこうした密集が生じるということを目の当りにすることはあまりないのである。

そこで細川候の自然エネルギーや日本人と自然の繋がりの哲学に典型的な日本のそれを感じて、所謂再生可能の持続的環境の保護の運動とは異質のものを感じたのである。論文盗作で失脚したツ・グッテンブルク大臣の父君である指揮者のエノッフ・ツ・グッテンベルクは保守環境保護ブントの創始者の一人であったがで、その運動が環境政党「緑の党」が左派政党から現実路線へ、そして保守緑の党へとの流れの過程で大きな意味を持っている。そして、そこで明らかになるのは緑の党の環境意識はカトリックのそれであり、プロテスタントのメルケル首相の持続性社会の構築はまた強い環境意識の表れであるということである。

つまり、細川候の自然観はなるほど保守的な環境意識であり、一つの哲学とすることは可能であるが、それがなかなか政治的に社会的に大きな運動とはなりがたい意識であることは明らかなのだ。上の密集の例は、その典型であり、自然をこよなく愛すとして、無為自然を貫くことの結果なのである。成程放っておいても野鳥などの住処となって自然に貢献するのだろうが、荒れ放題になって少なくとも人間の経済に貢献するというようなことは無い。要するに持続可能とは正反対の事象なのである。

経済、細川候は経済重視の政策を批判するが、持続性のある経済、つまり環境こそが構築されなければいけない自然なのである。緑の党などの運動が、それどころか「環境」という言葉が十分に咀嚼できない素朴過ぎる日本文化の中で、スローフードの本質がどこまで多くの人に伝わるのかどうか、とても疑問なのである。

それに比較すれば、スターリニズムのポピュリズムやTPP見解などの閉鎖性は、島国文化の特徴と思考には分かり易く、それが容易に受け入れられる素地があるのだ。環境やグローバリズムや新自由主義の本質はそのような次元にあるのではない。反原発運動の市民運動と政治思想については改めて考えよう。



参照:
原発なんてどうでもよい? 2014-01-23 | 文学・思想
時代錯誤への対抗軸 2014-01-15 | 歴史・時事
移民政策 (Hodiauxa Lignponto)
黒雲覆い始める中、マン「ファウスト博士」の下巻へ (壺中山紫庵)
万能細胞なんて要らない (猫のひとりごと)
ドイツワインの復活を期した最高の造り手達の挑戦を記載した本です。 (saarweineのワインなどに関してあれこれ)
「脱原発」の意思を明確に! (唐松模様)
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by pfaelzerwein | 2014-01-31 19:58 | アウトドーア・環境 | Trackback
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