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世にも奇妙な鼻血の社会

ラディオ等ではグルリット氏の死後の問題も話題となっていた。その代表格が、絵画コレクションの相続者となったベルンの美術館の悲鳴である。スイス人はあらゆるものを一度握れば離さないので、思いがけない相続に喜んではいるが、今後の鑑定や返却などには大変な労力が発生して、そうした専門家を集めるのが大変であるというのだ。ベルンの美術館が選ばれた理由は、先祖のグルリットの絵画を最も所有していることが理由に挙がるが、そもそもスイスに移るのはドイツの行政に怒っているからと言うことで理解されている。

しかしそもそもスイスとの国境で事件が発覚したことからしてもその財産管理などにスイスの銀行が関わってきていたことは間違いない。脱税容疑もあったわけで、事実は明らかにされないままである。戦中戦後のドイツとスイス、またユダヤ人社会との関係など何冊もの小説の題材がそこにあって、力のある物書きが全力を挙げて取材活動を繰り返しているに違いないのである。さて、ここから何冊のヒット作品が登場して、その映画化がなされるであろうか?晩年のコルネリウス・グルリットの写真を見るととても興味深い風貌をしているので、小説よりも奇なりの世界なのだ。

フクシマ禍で鼻血が話題になっているようだ。広島長崎以降の長い研究においても未だにこうした基礎的な病症が明確になっていないのは、そこから内部被曝をそっくり除去したその方針の歪さによるものなのだろう。殆ど科学とはいえないような医学部門があるようで今更ながら驚く。こうしたことを繰り返しているから、訳の分らないような研究者もどきが話題になっていても驚かない。またこうした日本の社会構造を痴呆社会と呼んでも差し支えないであろう。

「一般の人々より被曝線量の高い放射線技師や宇宙飛行士は鼻血が止まらないことに」ならないのは彼らは内部被曝をしていないからと考えるのは通常の知能を持った人間ならば当然であろう。

結局は全ては金である。そもそも原発などの受け入れ地方自治体や住民は金でどうにでもなるので、為政者ならば「連中は沖縄県人と同様に金でどうにでもなると考える」のは当然である。全く一銭も貰っていなかった飯館村の六千人の共同体に150億円もの除染費用がばら撒かれ、福島県では大事業が展開しているのは金さえあれば全てを誤魔化せると考えるからに他ならないのである。ばら撒けば、ばら撒く方にも金が滞らない訳で - 今後長期に亘って行政法人が乱立して環境省などの官僚の甘い巣となる -、黙らせるには金しかないのである。



参照:
ダイオードに右往左往する 2014-05-08 | テクニック
テプコの海岸井戸試料検査 2013-07-11 | マスメディア批評
活性化とは被曝すること 2014-05-11 | アウトドーア・環境
by pfaelzerwein | 2014-05-12 18:23 | 雑感 | Trackback
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