ヴァークナー熱狂の典型的な例愈々、第三夜楽劇「神々の黄昏」である。プリングスハイムの日記によると、この楽劇の稽古が七月五日から率先して集中的に行われている。その第一幕では、その効果や迫力に感動しているものの管が弦の細やかな表現を消してしまっていると嘆いている。この件は、その後何度も話題となっていて、その責任は劇場の音響の悪さにあるとして、ルービンシュタインとの間でも論争となっている。しかし楽匠はまったく取り合わないかのように、会場に客が入れば間違いないと思っているようだと報告される。 またミュンヘンの楽長レヴィとスコアを見ながら、まだまだ明らかなテーマが確りと演奏されていないことを確認して、改善を期待する。そして既にベルリンで管弦楽演奏されていた前奏曲の今度は楽劇としての遥かなる効果に胸躍らせる。 この楽劇には第一幕に先立って、序幕があって、ここではそれに触れていない。なるほどベーム指揮の1966年度の演奏でもそれに先立つノルンのトリオから、心なしかせかせかと演奏されていて、更に言葉も聞き取りにくい。この序幕は今までの経過を繋ぐための創作で、敢えて劇に集中させるよりも紙芝居のように前振りをするようになっているのは確かである。1964年のカルショー制作によるショルティー指揮では、そのテムポと、流石に最晩年の楽匠の響きと織物のような声部の扱いがとても美しいが、なるほど声の内容がよく通るかと言われれば、それはそのようにはなかなか上手く行っていない ― 総じてこの制作は失敗だったに違いない。当然の事ながらクナパーツブッシュがこれ以上の成果を出せた筈もなく、マルチトラックのような録音方法では演奏にも大きな影響が生じたようで、ニルソンを始め当時の最高の歌手人が力を示せていない。いずれにしても劇場の中で既に演奏された三夜を辿るような意味合いでは実況録音の劇場感覚があり、「パルシファル」ような形でのこれを単独とする場合とは演出も含めて異なるのは当然かもしれない。それにしても前奏曲からノルンの予言の場面へと素晴らしい始まりである。 そしてジークフリートとブリュンヒルデの最後の愛の歌での「トリスタン」後の集大成と改正の成果は当時どのように響いたのだろうか?これは、第二幕の復讐と場面での終結にも、共通する「パルシファル」にはない、まだまだ枯れていない到達点でもあろう。ノルンのトリオから間奏における日の出を通してこの愛の二重唱のハイヌーンの流れは、全体の流れとパラレルにあってそれがコムパクトに扱われているのはいうまでもないが、そこにおける表現はドビュシー「海」やその後の「グレの歌」へと繋がるもので、なるほど「日の出」はトリプヒャンから対岸に見えるレギの日の出からの創作とされても全く差支えのないものである。「トリスタン」とはまた異なるこの輝きは少なくともマーラーには可能だったがRシュトラウスには果たせなかったものではないだろうか。 第一幕への間奏曲「ジークフリートのラインへの旅」においても、また第三幕に於ける圧倒的なブルックナーの交響曲のフィナーレのような既出の動機の重ね合わせなど、バイロイトの定礎式後に訪れて三番と二番の交響曲を見せたブルックナーの影響がここにあるのだろう。逆の影響はいつも語られるのだが、それを機に器楽曲の作曲に楽匠が熱心になったことなど今回調べてみて始めて知り、なるほどと思った。 七月六日土曜日には第二幕のルービンシュタインのピアノ伴奏の稽古があり、それではあまりにも失われるものが多過ぎて感興も中庸だと語る。ハーゲンと男たちと、グンターの歓迎の辞の間の場もヴァークナー特有の効果だと評価して、まさに栄光だと評する。 この箇所の感想もなるほどテンポの早い中での様々な音楽内容の提示がとても優れているのだが、しかしそこでの力感はなにか古いヴァークナーのオペラを髣髴とさせて若干げんなりさせないこともない。なにがここまでこの数学者が感動させたのか?寧ろ、ハーゲンとグンターのディアローグでも改めてそこまでの関連を音楽的にも上手に再現させているのが見事である。要するにこの楽劇はそこまでの三夜に続けて体験しないとその価値が分らないのかもの知れない。 翌日金曜日は、同じく二幕が管弦楽で演奏され全く異なった成果を挙げたことで、この幕のハイライトは男たちの合唱だと改めて確信している。それに続く、ジークフリートの裏切りの復讐のブリュンヒルデとハーゲンとグンターのトリオを称して最もこの作品で理解を困難にする場面だろうと語る。勿論イングリッシュホルンとバスクラリネットの音楽と相似した最終幕の三人のラインの乙女のトリオとは全く対極に置かれる。 兎に角この二幕はこの作品の中で決してハイライトではなくて、音楽的に不毛で動機が繰り返されるだけだというのである。もしくはあまりにも突発に動機が飛び移り、ハーゲンの復讐の動機が絶え間なく死を呼び起こして、折角の美しい場面も追いやるとする。その中で男たちの合唱は素晴らしいと執拗に繰り返すのである。 勿論復讐の場の劇的な効果は認めざるを得ないとしても、こうした欠点が台無しにしているという意見である。だから、ハーゲンと夢に現れるアルベリヒとの対話も同じだとなる。兎に角、この数学者は、言葉が聞き取れなく、弦の細かな表現が聞けないと、この祝祭劇場の音響に欝になっている。 正直我々からするとこの感覚は、現在においても所謂ポピュラーな音楽を愛する向きから同じような感想が聞こえるかもしれないが、幕開けのハーゲンとアルベリヒの場面の「パルシファル」を髣髴させる音楽も見事であり、初演当時の全く異なる感覚を読むととても興味深いのである。少なくともこの数学者は、その場で編曲を試みるように決して音楽の素人ではなく、更に「トリスタン」以降の発展を喜ぶ一方、なぜかそれゆえの和声展開には距離感を感じているのである。 さて、十一日火曜日、お待ちかねの第三幕に、この数学者は早々前奏曲から魅了されている。ラインの乙女の八本のハープとは思えない効果に驚き、稽古であるにも拘わらず、終わりに演奏者が長い拍手に応えなければいけなかったことが報告される。そしてなによりも「ジークフリートの死」の葬送行進曲に - 「二つの十六分音符をゆっくりと」と記して - 打ちのめされるのだ。そこから最近もCD化されたアルフレート・プリングスハイムの編曲が毎日のように時間を惜しんで書かれるのである。 正しくその後に続く最初期のヴァークナー熱狂の典型的な例をここに見て取れるのだ。定礎式から、マンハイムでのヴァークナー協会創立の作曲者の演奏指揮など、またルートヴィッヒ二世とのやり取りなど興味深いことも多いが、初演におけるルートヴィッヒ一人のための一夜の上演や音響の関係からその後は訪問者を入れての総稽古などこの日記には記されていない様々な舞台裏に関する文献があるようだ。 参照: 愛があるかエコの世界観 2014-07-21 | 音 私の栄養となる聴き所 2014-07-14 | 音 前夜祭ならではの祝祭感 2014-07-08 | 音
by pfaelzerwein
| 2014-07-25 21:40
| 音
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