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リコーダーを吹いたヒッピー

週末の新聞文化欄はリコーダー奏者のフランツ・ブリュッヘンを短く追悼していた。リコーダー奏者としては大分以前は可也ラディオなどで流れていたと思うが、指揮者としては一度だけバッハの演奏を聞くことがあった。

ヨハネスパッションを2007年にフランクフルトの会で演奏したときだった。今その時の感想を読み返してみて、なるほどそうだったのか思い出した。兎に角その時の印象は、明らかにご本人が十字架を抱えて脇腹を突かれた姿勢で舞台に現れたことに尽きた。殆どシアターピースとしてそれが強く印象に残っていたのだ。それが芝居でなかったのなら、到底その後日本へと旅行できるような様子ではなかったのだ。

今回新聞の追悼を読むと、なるほど当初はフルートからクラリネットを通ってリコーダーに到達したと書いてある。そのような按配で、当時は子供の御遊び程度に思われていた特殊な楽器リコーダを現代音楽の分野で注目させ、ルチァーノ・ベリオに新曲を書かせたように注目されたとある。その当時が、録音やコンサートなどでも最も注目されていた時代なのだろう。当時を知る者は、レコード雑誌のカヴァーを飾っていたようなのに記憶があるに違いない。

丁度その前に始まっていたヒッピー時代のレオンハルトなどを代表とするそのオランダからの古楽ブームに並行して、バロック楽器を扱うようになって後年の活躍に繋がるようだが、その折衷的な態度から大きな存在にはならなかった理由がそこに触れられている。

なるほど、手元にも古学関連のコレクションとして唯一この演奏家が指揮者として録音しているモーツァルトのフルート協奏曲集LP二枚組みがあるだけだ。要するにこちらが興味あるレパートリーと殆ど重ならなのだが、新聞にあるようにベートヴェンを後年熱心に「シュテゥルムウントドランク」で鳴らしていたならば、もう少しハイドン作品などで注目されていてもおかしくなかったろう。その中でも注目された業績にペーター・ムスバッハとの「イドメネオ」上演とあるから、これもなるほどと感じた。



参照:
18世紀啓蒙主義受難曲 2007-03-22 | 音
雨降りの日の室内生活 2014-05-02 | 生活
by pfaelzerwein | 2014-08-20 21:54 | 雑感 | Trackback
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