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主の居ない打ち出の小槌

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先週のピエール・ブーレーズ90歳記念コンサーツの模様を記憶が新しいうちに書いておく。三回のコンサーツの二回目と三回目に出かけた。流石に朝から一日中では辛いと思ったからだ。それでもアンテーム2(1997)、ルマルトーサンメイトル(1955)、エクスプロサントフィックス(1993)、プルミエールソナタ(1946)、デリーヴュ(1984)、ピアノのためのノタシィオン(1970)、大管弦楽のため(1984)と1960年代を除く創作が一望できた ― 1960年代は指揮者活動をして、丁度筆を置く時期に当たるのでこれでよいのだろう。

当日は、本来ならば本人が駆けつけるところなのだろうが、体調もそれ程よくはないのか、会場からそう遠くはない町外れの自宅で中継を見聞きしていたことになっている。何時頃まで指揮活動を盛んにしていたのかは知れないが、最近のインタヴューなどを聞いても可成りふがふがになってきている印象はあったので年齢を考えれば仕方がないのかもしれない。

午後のコンサートは、午前中に続きバーデン・バーデンの劇場で催されて、ベルリオーズがこけら落としをしたという劇場は小さいながらも、それなりの雰囲気と、室内楽などには悪くない音響であった。一曲目のヴァイオリンは曲を献呈された初演者のハースン韓の演奏で、流石に良く弾き込まれていた。しかしその曇りのないヴァイオリンよりもライヴエレクトロノクスの腕が素晴らしく、単純なディレーなどとは次元が違うことを改めて感じさせてくれた。嘗ては、大型のコムピューターでシンセイサジザーテクニックなどを駆使してしか表現できなかったことが、今では腕とセンスさえあればYAMAHAのプルトとノートブックでも容易に表現できるのだ。考えてみれば1997年と2015年ではデジタル音響技術もPCなどの差も甚だしく、これらのライヴエレクロロニックの音楽は今後一般コンサートの中で重要な地位を占めていくだろうことを今更ながら思い知らされたのである。今まで実感としてこれほど明白にその音響の斬新さを感じることはなかったのだ。プルトは、バーデン・バーデンの電子音楽スタジオが受け持ち、イルカムの初演者がやはり共演した。

インテルメッツォとして、作曲家と所縁ある人が舞台に登場しての話となったが、秘書の元DGの女性の話やピアニストのエマールの話はどうでもよいものだった。しかし、ヴォルフガンク・リームの話は、自分の創作と重ね合わせる話でとても興味深く、同じ道を何度も何度も追及している作曲家としてのル・マルトーの解説が秀逸であった。中声域の限定やヴィブラフォンの歌声などその独自の音響感を指示していた。

さて、この大成功作であり、シェーンベルクの「ピエロリュネール」を継いだ「ル・マルトー」は、今回生で初めて接して、その面白さと歌の重要性に改めて気が付いた。シェーンベルクの歌のついた弦楽四重奏曲をも想起させるが、いつものように録音ではとても早いテムポでまるで一筆書きで颯爽と響かすのとは異なって、今回はSWRバーデンバーデンの奏者のアンサムブルを音楽監督のロース氏が振った。その後、二種類の自作自演の録音を聞き直した。やはり、どちらも素晴らしかった。二十世紀後半の名曲であろう。初演は当日の会場から歩いてもそれほど遠くはないハンス・ロスバウト・ステュディオで1955年6月18日にあり、その時の同管弦楽団のパーカショニストが客席で紹介されていた。

セリアル音楽もパラメーターが増えるが増えるほど、もはや誰かが操作するという範疇を超えていく。この場合も少なくとも音域は制御されていることになるが、楽器の組み合わせなど十分なパラメーターが存在する。こうしたリズムや音程の対位法的な絡み合いをしっかりと手際よく組み合わせたりしていくには、そのパラメーターを数学的に処理するしかないのである。それにしても不思議なことに、そうした複雑性が、たとえばヴェーベルンの小曲のような極度の緊張を少なくとも聴者に強いらないのは、作曲家の音楽的な個性でもあるのだろう。そしてここまで行けば、次には電子音楽的な処理によって新しいサウンドをパラメーターとして加えていくしかなくなってくることも容易に実感できるだろう。(続く



参照:
追懐の怒りのブーレーズ 2006-11-08 | 音
至極当然のことなのか? 2015-01-20 | アウトドーア・環境
by pfaelzerwein | 2015-01-26 04:05 | | Trackback
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