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贖罪という営みの文化

元SS親衛隊の隊員が起訴された。そのことは世界中でも伝えられている。なぜ今頃、高齢の人間が七十年も前の罪で裁かれなければいけないのか?そもそもこの男性はシュピーゲル誌でのインタヴューや知人に託した手記などで、その罪に関しては全て認めており、それは当局も十二分に関知していた。実際に、本人がイギリスの捕虜として戻ってきたときには最初の追求の時期を過ぎており、アデナウワー時代に入っていて、1965年のフランクフルトでのアウシュヴィッツ裁判では、小さな40人規模の収容所での任務はたとえ衛兵でも裁かれたのだが、アウシュヴィッツの二つもある大工場で指示された任務をこなしていた者は「主犯ヒトラーやヒムラーの協力者でしかなかった」とされた。つまり、直接殺傷に関わった人間以外は裁かれなかったのである。その結果、アウシュヴィッツの6000人のSS隊員のうちで800人が裁かれ、そのうち僅か40人しか連邦共和国では裁かれていない。しかし1974年にもこれらの小さな協力者への追訴も検討されたが、結局1984年には「輸送列車から降ろされたプラットホームで選別されたユダヤ人が残した荷物を仕分けしただけの任務」をこなしただけとして、訴追されなかった。それがジョン・デムヤンユク事件で状況が変わり、昨年二月には12都市で家宅捜査が行われたという。それでも行為の因果律からして連邦憲法裁判所では無効となるような起訴となる。

アウシュヴィッツなどに関しては、合衆国FBIでは研修としてその博物館に行くことが命じられているようで、そこでの長官発言が問題となった。上の例ではないが、ハンガリーやポーランドがそこでは協力者とされたことで、ポーランド政府などは大使引き上げなど強い抗議をしたということだ。ブラント首相がワルシャワのゲットー蜂起碑で跪いたことの真の意味をそこに思い起こす。協力者からすればそれなりの言い訳があり、主犯つまりこの場合はナチドイツつまりドイツ人がやはりそれでも跪くということの意味はそこにある。それがそのときのポーランド訪問の目的であった筈で、それこそが近隣諸国との外交ではないか。

IWJでどなたかが、このような自己反省やそのディアローグこそが国の品格だと語っていた。その通りである。どのような考え方でもそこに文化的な評価がなされるような対話があってこそ、人はそれを品格と認めるのである。まさしく文化程度の問題なのだ。



参照:
吹雪から冷気への三十年 2007-11-11 | 暦
不公平に扱われる英霊 2006-08-23 | 歴史・時事
IDの危機と確立の好機 2005-04-20 | 文学・思想
by pfaelzerwein | 2015-04-24 04:55 | 文化一般 | Trackback
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