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普遍的とはされない特異日

土曜日は「オオヤマネの日」と呼ばれる特異日だった。民間伝承でこの日の天気が先七週間つまりその年の夏を決めるということだ。ワイン街道では朝から雷が鳴り、雨もぱらついた。しかし午前中は肌寒いぐらいだったが、午後からは陽が出て夏らしくなってきた。要するにそれほどかんかん照りの盛夏にはならないということだろう。南ドイツで七八割方当たるようだから、これを信じる。

GPSでまだ走っていない8キロコースを行った。駐車場で一緒になった50年配のおじさんに先に走ってもらって、それをつけるような感じで走り始めた。ジョギングテムポの比較的痩せた人なので、それに等距離をおいて付いていくのは全く問題なかった。逆に抜いてしまうとその後を頑張りすぎるようなので押さえた。何よりもGPSの状況が悪かったのでそちらの方が気になっていた。1キロほどのところで道を逸れてくれたので、そこから真剣に走った。やや登り勾配になるところで辛いところだが、押さえていたので力が入った。

時計は確認しなかったが、歩数は1840歩であった。時計が狂ってしまっていて確認できないのだが、通常ならば11分ペースである。山登りは歩いていても結構苦しくなってくる。登って5140歩で、22分38秒で到着している。足元が湿り気味なので古い靴を履いて下る。太い樫に6分30秒後、降りてきて2KMを13分30秒後だ。全部で52分だった。町よりも摂氏二度ほど低い17度の森の中は気持ちが良かったが、折角のGPSが上手く捕捉出来なかった。

特定のブログ過去記事にアクセスが集まるときは、その内容を確認するために再訪することがある。そして読み返すと、誤字等を訂正したり出来れば読みやすくするのは当然だが、半年ほど前に自身で書いた記事でもその真意をなかなか読み取れないときがある。それは書き方が悪いだけでもないこともあり、しばしばその書いたときの環境を思い起こしてみなければいけないこともある。芸術文化や歴史を振り返るときにも必要な行為だが、自身の書いたものにもそのような必要性を感じることがあるのだ。もちろんその趣旨が読み取れるようになると、今度はなかなか自身の書いたものでもその謂わんとすることに思いを馳してとても興味深いことがある。義務教育の国語の授業のようなお話だが、表現とかそうしたものには必ず付き纏う「普遍性の確保」といった話題でもある。

パワーアップしたワークステーションで、ヴァルトビューネのオープンエアー中継を観た。朗朗がグリークの協奏曲を弾いていた。それを観ていて、確か毛沢東時代にも同じようなピアニストがいたなと思い出した。ヴェトナム出身のそれよりも以前に有名になっていた黄河などを弾いていたピアニストを思い出してしまうのだ。シナ的な特徴を別にしてもその西洋音楽に対するアプローチは全く文革当時と変わっていないということだ。要するに西洋芸術など全く理解できていないということだけだ。なるほど彼が話しているのを見ると、ユネスコ大使としての立場はよいのだが、既に33歳にもなっているのに驚かされる。ドイツにも同じような大人子供の指揮者がいたのを思い出した。



参照:
ふれなければいけない話題 2015-06-29 | マスメディア批評
零八憲章刺す天叢雲剣 2008-12-24 | 歴史・時事
by pfaelzerwein | 2015-06-29 21:54 | | Trackback
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