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危机と紙一重の良机の七十年

ヴァイツゼッカ-大統領の「荒れ野の40年」と呼ばれる演説を初めて聞いた。そしてVIDEOも見つけたのでDLした ― ドイツ語学習者には、明白なレトリックに言葉も比較的平易で明快なのでとてもよい教材だろう。40分以上の敗戦40年を記念したボン共和国議会での演説である。それを聞く前に調べると、ビットブルガーの論争との関連に触れてあって、同じく先ごろ故人となったギュンター・グラスの「名言」も載っている。戦死者を護る記念塔にボン政府も知らなかったSSも合祀されていて、そこへコール首相がドナルド・レーガン大統領を連れて行くという事件である。その事件の影響で上の演説の最大の目的であったナチの責任からの開放の一環として、ナチ犯罪者ヘスの恩赦が削られたというものだ。そうした修正がこの演説の背後にあったことは無視できない。まさに大統領の言葉を使うと、「危機(危机)という言葉も好機(良机)」と紙一重なのだろう。

演説の中で、なぜ敗戦40年かと訊ねられても難しいとしているが、1985年の冷戦の終焉に近づいたときであった連邦共和国が未来へ、次世代へと向かって過去の負の遺産から開放されて、要するに戦後レジームからの開放へと模索していた時期であり、そうした政府方針に沿った演説内容であったのだ。だからこそ、反ソヴィエトでも、反米でもあってはいけないと最後に訴えかけてもいる。

先ず何よりもこれからの若者に負の遺産を相続しないこと、それと同時に歴史化の中で同じことを繰り返さないように勇気を持って史実に向き合い、記憶を風化させないことを訴えている。目を瞑ることは共犯だとしていることがここにも活きる ― ヒトラーが東進した時には、祖国存続のための防衛権を主張して、石炭の確保を謳っていたことを改めて認識した。

70年に安倍総理が談話を出すというように聞く。そこに「謝罪」を入れるとかと聞くと、一体誰に語りかえるのだろうかと、その真意を疑う。まさしく、戦後レジームを総決算して、ヴァイツゼッカ-がありえないとする「過去を乗り越える」ことを果たそうとするこの独裁者が一体なにを話すのか?新法案の強行採決によって、良識ある若者たちに、過去の責任を負い被せるかのように、自らの責任を果たさない大人たちは一体なにを果たせるのか?

将来の日本人に負の遺産を残さないためには、安倍一味の母体であるような日本会議と称するようなイデオロギー集団を徹底的に攻撃して、靖国のようなものから手を切ることこそ今果たすべき責任ではないのだろうか。ああした民族主義イデオロギーこそが、今後とも負の遺産を増殖させて、将来までにその社会に影を落とさせるものに違いない。そうしたイデオロギーを決して認めない強い意志こそが今こそ日本社会には必要なのではないのか。

「集団的責任などというものはない、それは無罪においても同様、個人的な責任なのだ」とヴァイツゼッカーは冒頭に語っている。



参照:
"Der 8. Mai war ein Tag der Befreiung" (ARD)
IDの危機と確立の好機 2005-04-20 | 文学・思想
危険領域に立ち入る責任 2015-07-20 | 生活
by pfaelzerwein | 2015-07-20 18:26 | 歴史・時事 | Trackback
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