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防振というオカルト分析

夜中に強い雨音で起こされた。冬には珍しいことであり、夏にも数えるほどしかない。早朝一走りしようと思っていたが、無理だと思って、少し寝坊した。

先日来の試聴で気付いたことがある。使用一年半になるCDプレーヤーの電源部が鳴っているのに気が付いた。それほど居間が静かになっているのだ。なぜ今まで気付かなかったのか?購入時に調べていたら誰かが書いていたような気もする。可成り低い音域である。もちろん、アムステルダムのコンセルトヘボウの前?の交差点からの暗雑音よりは大分小さいのだが、スピーカーから音が消え、機械の近くにいると聞こえる。気になっていたので、初めて箱の蓋を開けてみた。すると、音がしていたのは電源部ではなくて、CD駆動モデュールだった。

今年になって初めて気付いたのは新年の静けさと、昨年秋からバルコンのドアの締め方を変えたからだと分かった。つまり室内が今まで以上に静粛さを保つようになったのだ。そこにスピーカーを弄ったことから、小さな音でのリスニングが楽しめるようになったことが大きいらしい。要するに耳を澄ますようになったのだ。

これは仕方がないと思って、横を見ると先日からサブウファーの下に引いてあったゴムのインシュレーターが転がっている。使い所がないかと思っていたのだ。ゴムのイボが六つついているタイプなので、その上での揺れは低周波に共振周波数があるのだろう。出ている機械音は遥かに高いので、全く関係ないようにも思える。

そもそもアナログプレーヤーとは違って、デジタルのレーザー読み取り機構は機械的としても、その際のエラーの数に振動がどれほど、どのように影響があるのか、スピーカーの振動による影響などもほとんど無視できると感じており、オカルトオーディオ談義としか考えていない。それでも、もしかすると上の振動を抑えられるかもしれないと思った。実際にゴム足を履かせると今までの異音の下の周波数が押さえられた。もともとの足を履いているところに装着したので作用点は変わらない。押さえられたのは機械的なCD駆動モーターの台への共振ということになるのだろうか。中級機なのでそのような状況は想定外だった。

さて、試聴をして驚いたのは、先ず音像の定位感が全く変わってしまったことである。具体的には左右に広がって、逆相になった時のように広がり過ぎる感があるが、左右のスピーカーよりも広がっていくのは、このところなぜかあまりに縮こまっていたのを不思議に思っていたぐらいである ― そういえばスピーカーの角度がコードを替えてから外向きになっていたので、内側に向ける。

ハイティンク指揮のブラームスの協奏曲一番を試聴すると、今までは最も外れた席から聞いているようだったのが可成り前の席へと移って来て、左右に管弦楽団が広がるようになる。そして初めて、指揮が初めてつぶさに分かるようになった。今までは全てが混ざり合っていたのだ。そして問題であったビートするコントラバスや太鼓などが引っかからずに自然に発声されるようになった。なかなか地味で分かり難いこの指揮者の意志がとてもよく分かり、これならばこの指揮者とこの管弦楽団の録音が安く出ればまた購入してみたいと思う。上行旋律などの歌わせ方や管弦楽団のバランス感覚など並々ならぬ美点が溢れていて、ポストカラヤン世代としては中々精妙な仕事をしていると思った。バランスが悪い状態で聞いていると、なんて陳腐な吹かせ方などをしているかと思っていたが、流石に合わせものは絶妙である。

もう一つ満足していなかったのは、ピノック指揮のヘンデルの録音で、あまりに低弦が補強されて強く発声されているので、そのアタックが綺麗に響かないことだった。これも、自然に底支えする音響になって、やや中庸的な演奏実践である英国の古楽楽団がバランスよく鳴るようになった。ここで再び、ハイドンのソナタを鳴らすと、上声部の美点などはそのままに、低音の打鍵が綺麗に響いて自然に解放されるようになった。但し音像が左右に広がったのでスピーカーを内向けにするなどの調整が必要になった。

どちらかというとゴムのイメージ通り音質が柔らかくなる感じが強いのだが、低音の自然な感じは嬉しく、生の音に近づいている。それは高音域でも本来はそうであって、耳を澄ますような再生音こそが本来は求められるものだろう。言い換えるとSN比がが良くて、ダナミックレンジが広がるということだろう。HiFi再生で重要なのは管弦楽団の実際のダイナミックレンジに近づければ同じ効果が生じるということだろう。

このような結果で、CDプレーヤーの音も雑音も改善された。但し、なぜ定位感が改善されるのか?ステレオの位相や中高音域の明快さに関連するのでデジタルの読み取りとは関係ないとすると、やはりアナログ回路に関係するのだろうか?先日来の経験でいくと、超低音の影響が大きいとなると、低音が綺麗に出るようになったからだろう。それならば、レコードプレーヤーと同じく、スピーカーからの振動がCDプレーヤーを揺らして、なにかを共振させていたことになる。なぜならば、超低音が防振で改善されたということは、まさしくその時のスピーカーからの振動が問題になっていた訳で、それを減衰させることで効果を上げることになる。そもそも超低音となると、駆動部などのモデュールだけでは抑えられなく、箱もろとも防振処置をしなければいけないからだ。

オカルトオーディオ話はこれぐらいにしておこう。余暇の時間の事もあるが、なによりも昔弄っていた時と違うのは、判断が分析的に下せることで、少しづつ試聴する音源は増えていったが、なにも試聴のために選んだのではなくて、新たなメディアが偶々何かを気づく源泉になっただけである。つまり、あらもこれもと根掘り葉掘りと片端しから手元のメディアをチェックしていく必要が無いのが最も違うだろうか。

勿論今まではながらに音楽を流していても何をやっているのかあまり分からなかったCDなども、これだけ明白に鳴るようになると、その録音の質とともに曲や演奏なども吟味し直せることは間違いない。そこでそのサウンドが、どのような作曲技法で、叙述法で作曲されているかに思いを巡らすことで、音楽ファンに直ぐに戻れる。作曲技法とか対位法などというととても難しいことに聞こえるかもしれないが、よく考えてみれば文学の分析でも中々学ばずには出来ないのは同じだ。

昔弄っていた頃のことを想い出した。今回もそうだが夜も更け静まり返ると気になって来て、ごそごそと寝間着姿などで弄ってしまうのだ。LPプレーヤーのハウリングのテストなどは、人様には聞こえないが犬には聞こえるようで何百メートルも先の近所の犬達が一斉に鳴き出したのを思い出した。これでCDの騒音は抑えられて、回路全般のSNをチェックすると、アクティヴ型のサブウファーのアムプらしきが一番雑音を出していた。電源プラグを差し替えても変わらなかったので、大体ここら当たりが限界かと思った。

大掃除から始まって、コード、インシュレーターなど無駄も入れて、二つのスピーカーシステムで全額60ユーロほどの投資だった。額からすると、元旦や雨降りに室内で遊べて、大満足な結果だった。



参照:
見かけによらず土台が肝心 2016-01-05 | 音
今年最後の試しごと 2016-01-01 | 暦
雀百までの事始め 2016-01-04 | 暦
おとなしいグレードアップ 2015-12-03 | 音
ネットで耳のチェックをする 2015-12-02 | 生活
by pfaelzerwein | 2016-01-06 19:33 | 雑感 | Trackback
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