ヤノフスキーのワンパターン

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日曜日は頂上往復をした。湿気があって気温も摂氏18度を超えていた。汗をしっかり掻いた。その上心拍計測の胸バンドをしていた。二十分を過ぎるころから汗が噴き出した。頂上手前ではとても厳しかった。女性のスポーツ選手は大変だ。気象条件が堪えた。膝に気を付け乍ら降りをひた走る。普段走っているコースとも冬場の走りともやはり運動量が違うと感じる。

月曜は窓の開け方を変えた。すると蚊があまり攻めてこなかったので、早めにシャワーを浴びて床に就くと一匹ぐらいが遠くで飛んでいるぐらいで、熟睡した。そして翌朝レモンの香りの蝋燭について人に尋ねると殆ど効かないという。それならば安くない事であり、発注を止めて蚊取り線香を待つことにする。この状態が続いてくれると嬉しい。

一時愛聴していたザビーネ・マイヤー演奏のマンハイム楽派のクラリネット協奏曲が新しいCDプレーヤーになってからもう一つ上手く鳴らないと思っていたら、モーツァルトの協奏曲を鳴らすと見違えるほどに綺麗になった。以前は今ほど透明感を以て響かなかったのだが、それが綺麗に再生されると断然伴奏のシュターツカペレドレスデンの巧さが光った。マンハイム楽派の楽曲の伴奏はハイルブロンの室内楽団なので綺麗に鳴るほど荒が目立って来たのである。オーディオは分厚い響きになるほど綺麗に再生するのが難しくなる。想像以上に、そこではモーツァルトで良い演奏をしている。

指揮者マレク・ヤノフスキーのバイロイトデビューの前夜祭「ラインの黄金」の生中継を途中から聞いた。予想通り、交響的な響きを追求していて、指示動機を景気良く鳴らせるのはドレスデンでの名録音の時と同じである ― そもそもライトモティーフという概念が音楽分析のパターン化による単純化でしかない。この指揮者が指示動機を循環動機としての音楽構造と捉えているとすれば、あとになればそれは支離滅裂になる。なるほど神々の黄昏か。そして徐々にそのダイナミックスのワンパターンに嫌気がさして来ると同時に、最後のヴァルハラの場面へと全く劇場的な雰囲気を排除して突き進んでいく。ここぞという所でも、退いて劇空間を形作ることが全く無い。どこまでも同じように組曲か何かのように突き進むのである ― あのロヴロ・フォン・マタチッチの豪快さだけが売りのそれを思い起こさせる。さぞかし劇場にいる人はと、気の毒に思った。そもそも音楽劇とか劇場空間とかを理解している指揮者とはされていないが、ここまで押し切ってもゲオルク・ショルティ―指揮程の圧倒的な演奏でもないので興醒めだ。秋には日本で「アリアドネ」を指揮するらしい。後半の劇中劇も交響詩的ではないが、前半は更に精妙さが求められる。マンハイムの音楽監督だったホルスト・シュタインは日本でもそれをとても精妙に指揮したが、このポーランド人にそれが出来る筈がない。

前日の「パルシファル」の第一幕のVIDEOを観た。なるほど程度が低い。FAZのおばさんたちが言っていたシナイ半島から世界へ、世界から宇宙へ、地球から太陽系、太陽系から銀河に、そして再びシナイ半島の教会へのグーグルアースのような映像の稚拙さはほとほと呆れ果てる。昔のTVスタートレックの映像とも比較できないほどの下手さ加減である。芸術云々以前の学生でももう少しやれるという技術と意匠の低さである。演技指導もあまりプロフェッショナルさを感じさせない。監督をしているヴィースバーデンの州立劇場とはこの程度なのか。舞台美術だけはそれなりに予算の中で上手く纏めていた。それにしても音楽も舞台も現在の体制の中では益々低俗安物になってきていて、初代音楽監督が前日のインタヴュー最後に、「来年もまた出来れば」とアナウンサーが辞去するときに「そうありたい」と笑っていた通りである。ジャーナリズムや聴衆が明確に反応しなければ祝祭劇場自体が存続の危機となるであろう。



参照:
ハイカルチャーの趣 2014-04-04 | 文化一般
目を瞑って眠りこける 2016-07-27 | 音
ペトレンコ教授のナクソス島 2015-10-22 | 音
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by pfaelzerwein | 2016-07-27 14:05 | 文化一般 | Trackback
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