インタヴュー、時間の無駄三

各国の18歳の身長調査の結果が紹介されていた。それによると世界で一番大きい女性はラトヴィア女性となる。平均170CMらしい。ドイツ語学校に通っていた時にリガ出身女性がいたような気がするが、そうなのかなという印象しかない。バルト国人よりもフィンランド人の方が大きな印象を持っていた。男性はオランダ人でこれは変わらず、その平均184CMである。

さてドイツ人は男性が180CMで世界11位でこれは違和感が無いが、フランス語を習っていた時の話題だった「ドイツ女性の典型170CM、茶髪」は、ここでは平均166CMで世界14位となっていて意外だった。もしかするとトルコ人など外国人が平均を下げているかとも感じる。実際に平均170CM弱の感じは免れない。勿論166CMも平均ではあるが、もしかすると、小さいとは評しても決して大きいとは誰も評さないだろう。

世界で最もこの百年間で大きくなったのは、イラン男性で20CM成長、女性では韓国女性で16.5CM成長とある。まさか足の踵に美容整形手術をいている訳でもないと思うが、なぜなのだろうか?


さて、「インタヴュー、時間の無駄」の続きである。

承前)十八歳でオーストリアに来られて、そこから何もかもが早く進展しました。二十七歳でマイニンゲンでドイツで最も若い総監督になりました。予定通りですか?それとも幸運だった?


計画通りではないですが、一段階一段階、何をなすべきかを意識して判断しました。転がり込むような幸運ではなく、なにかを積み上げる試みをしたのです。卒業のあと、二年間ヴィーナーフォルクスオパーで、最初はただのアシスタント、そしてカペルマイスターで、そして即マイニンゲンへと行きました。全てはただの幸運ではないですよ、一生懸命に頑張りました。その最後ではとても得ることが多かったです。マイニンゲンからここコーミッシェオパーへの段階はしかるべきもので、ただの幸運ではなく、内実必然たる進展です。マイニンゲンで一緒だった、コーミシェオパーの演出家でもあるクリスティーネ・ミーリッツは、つまりここでハリー・クッパ―の下で演劇監督をしていたのでした。そこで、ここのことは分かっていましたので、即座に入ることが可能となりました。

ここまでは、キャリアにおいて、オペラはコンサートよりも重要視されています。これは望むところですか?


そのようには個人的には計画していなかった。本当は学業のあとコンサート指揮者の準備をしていましたが、劇場や演出家、歌手を多く抱える所属マネージメント事務所の関係なんです。最初はその劇場で、先ずは見えない舞台裏の仕事に魅了されました。そこから、そこでどれだけ学べるかに気がつきました。そして、オペラ作品というのが取り分け美しいものであると。歌手との仕事で、音楽を通して、導いたり、導かれたりと必ず両面性があって、時には譲り、時には攻めたりです。これは凄いことで、全てがこうなったことにちっとも後悔していません。勿論コンサートは時間的に短か過ぎますが。それでも世界のあらゆる大管弦楽団と仕事をして、良い歌手陣から学んでいます。

一寸例を挙げて貰えますか?それともあまり外交的ではありませんか?

いいえ、いいえ、全くそんなことはないです。ここコーミッシェオパーでは、なによりも我らがアンサムブルではヴァルナー・エンデルスで、残念ながら亡くなりましたが、そしてロシア人のアナトリエ・コツェルガを挙げます。彼とはフランクフルトでムソルグスキーの「ホヴァンシチーナ」リオンでチャイコフスキーの「マゼッパ」をやりました。彼から正しくフレージングすることを学びます。印刷されているロシアのリズムは、書かれているように歌われてはいけないということです。それどころか、楽譜通りのリズムで歌うということは、間違って歌うということなんです。それは、言語のリズムを正確に作曲しているヤナーチェックやリヒャルト・シュトラウスとは、丁度正反対でなのです。チャイコフスキーにおいては、ムソルグスキーに比べられないぐらいに、自由に韻を踏まないといけないのです。そこで指揮者はそれに付けるのはとても難しくなります。楽譜には四分の四拍子となっていても、歌手は八分の五拍子で歌います。それが正しく響くのです、なぜならばロシア語の抑揚と調子がぴったりと合うからです。それは印刷されたものとはほとんど関係ありません。このことをアナトリエ・コツェルガに教わりました。最初は、伴奏するのが難しくて、いつも僕のと違うので、「何しているの?聞いてよ、一、ニ」と呼びかけました。すると彼は、「違う、そうはいかん、この節はそうやらなければ」と言うのです。すると一拍伸びて、他が短くなる。それがまた本当に正しい。これで、直ぐに古いロシアのフォークソングに気がつきました。それらは、様々な音節の韻を踏んでいて、しばしば拍子が変わるのです。しかしチャイコフスキーに関しては、リズムの問題は特に厳密にされていると思ってました。それが違って、「オネーギン」では明らかにドイツ語で上演すると全く異なったものになります。しかしロシア語ですと、直ぐに分かります。歌手がですね、楽譜通りに歌うと、まるで役人がディクテーションしているように丸、点と響くのです。自然な言葉の流れとはなりません。(続く


いよいよインタヴューは佳境に入って来た。ロシアのリズムに関してはここでも再三書いてきたことであり、特にキリル・ペトレンコの譜読みの背景にそれに纏わるリズム意識が入っているとしていたが、ここまで明白に発言されているとは知らなかった。もはやこれ以上のインタヴューは時間の無駄なのはこれでも分かる。

取り分け興奮させられるのは、そうしたリズムに関して自然に身についていたのではなくてロシア人歌手との仕事で教えられ!、意味づけられたということで、明らかに母国語ロシア語のリズムが自然に分かっていたというのとは全く異なる。つまり、シュトラウスやヴァークナーと同じような距離を以てロシア音楽を指揮出来るようになったということで、我々ロシア語の出来ない者にでも明白にそれを示してくれることが出来るということでもある。それは、ヴァークナーの楽劇においてもドイツのリズムとアクセントを守り乍ら自由自在に楽譜を読むことが可能な位置にこの指揮者が立脚しているということだ。要するに自身のロシアのアクセントから解放されているということでもある。

ここで触れられているロシア音楽への理解の深化の機会が2006年の上演以降のことであり、当時既にBLOGで話題になっていたこのロシア人指揮者について、「ドイツ音楽をまともに指揮できる筈がない」との旨を私はそのBLOGでコメントしていた。聞こえたかどうかは知らないが、実際にその時期にペトレンコの音楽に決して小さくない発展があった可能性も完全には否定できない。そして2014年夏、私は当時と同じ気持ちで劇場に座り、おかしなアクセントに注意して「ラインの黄金」の前奏曲に荒さがしのように耳を傾けていたのだった ― ロシア人にヴァークナーが演奏できるかと。そして冒頭から、何よりもまるで奈落の高さを上げた改造があったとしか思えない響きに圧倒され、まさしくラインの濁流に飲み込まれてしまい、そのアクセントに問題が殆ど無いことを確信するのにもそれほど時間が掛からなかったのである。



参照:
やくざでぶよぶよの太もも 2014-07-29 | 音
秘義とはこれ如何に 2015-09-09 | マスメディア批評
楽譜から響く管弦楽サウンド 2015-06-24 | 文化一般
インタヴュー、時間の無駄一 2016-07-20 | 文化一般
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by pfaelzerwein | 2016-07-29 16:49 | 文化一般 | Trackback
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