視線が絡むということ

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パン屋の夏休みの間に結局二回しか「山登り」コースを走れなかった。気温が高いと厳しいの一言に尽きる。だから週の間で走る余裕などはなかった。一番最初に緑のベンチまで仮に走っただけだった。もう一度はワイン地所の上の縁を軽く駈けた。近所で気持ちよく牧草地を走れる場所である。出口の林の中に倒木があったりして、予想より時間が掛かり、1.8KMを16分も掛かった。それでも日差しを浴びると汗を十二分に掻いた。丁度ワインの町フォルストの上部を往復した感じで、ウンゲホイヤーの広さを感じるランである。

人の顔が思い出せないことがある。勿論特徴とかを押さえていれば再構築できるのだろうが、そうした素養の無い人にとっては、まるで印画紙のように映像的に脳裏に焼き付けていないとその顔を思い出せないことがある。なぜか愛しの女性の顔が思い出せないとなると悔しい。それが急に脳裏に焼き付くようになったのだ。そして不思議に感じていた。ユリアの顔立ちはそれほど特徴はない。心もち顎の出方も、歯科上は全く問題の無い程度であり、ドイツ女性としてはそれほど特徴にもならないほどのものであるが、そこだけでは全体の印象は掴めないのだ。

顎と言えばフランスの有名人気女優シャルロット・ゲンスボールのことをふと思い出した。子役の時から活躍しているこの女優の写真をみると、ローティーンの頃は顎辺りの特徴があっても口元が小さく収まっているのだが、成長すると口元が特に巨大化して、顎の先だけではなくて鰓が張り、鼻頭も張ってきて、全体のバランスが全く変わってきている。現在も歌手としても妖精的な少女風で舞台に出ていて、セックス映画「ニムフォマニア」と40歳過ぎてもそれで売っているのが凄い。個人的趣味としては口元が決め手になるので、なかなか女優さんなどでは我が条件に適うのを見たことが無いのである。

小ぶりな目鼻立ちや額当たりの感じもバラバラには特徴を掴んでいても、なぜか全体の印象としてまとまらないのだ。因みに私自身は歯科衛生士に顎当たりは褒められているが、日本で褒められたことはなかったのである。骨格が形成的に確りしているということだろうか。そして今、急に印象に残るようになったのである。何か髪型が特に変わったとか、特別に長く見つめ合ったとかではないので余計不思議に思ったのだ。そして時間が経過してもその印象は変わらずに今までには無かったほどその面影が残るようになって来た、

原因を探して色々と考えてみた。どうも彼女の瞳に我が姿が映って、それを無意識のうちに認めたのではないかと思う。すると印象に残ったのは彼女の顔では無しに我が姿となるのだが、これがまた興味深い。それにしても彼女の瞳に自分が映るというのはお互いのことで、言うならば視線が絡むというやつである。ここに来て一年ほど経ってから漸くこの感じになって来た。

視線が絡むというのは予想していた以上に深みのあるコンタクトであると今更の如く思う。同性の瞳では、故フォン・ヴァイツゼッカー大統領の瞳であるが、大臣か夫婦か誰かと歓談中だったのでほんの一瞬なのだが、その視線は強く脳裏に焼き付いて残り続けている。言うなれば視覚のセンサーをP2P直結したようなもので、時間差を置いて脳と脳の接触となっている。一瞬で人格深くを探れるというのはそういうことである。勿論これは動物と遭遇して目が合うのと似た感じがあり、特に異性関係となると特別な緊張感を孕むのだ。そう言えば追い詰めた猫の目も記憶にある。



参照:
手に取るポッケの小石 2016-07-19 | 女
危机と紙一重の良机の七十年 2015-07-21 | 歴史・時事
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by pfaelzerwein | 2016-08-01 21:46 | | Trackback
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