斜陽のボンに涼むとき

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久しぶりにボンに出かけた。前回はロシア領事館に招聘ヴィザを取りに行く時だったろうか ― ロシア文化庁の招聘と言っても取りに行くぐらいだから大した扱いではない。その前は、フンボルト財団が宛がった宿舎に滞在していた友人を訪ねた時だったろうか。いづれにしても、二十年ほど前のことになる。いや、ケルンの音楽見本市?の帰りにボンに立ち寄った時に夕食に立ち寄った時だとしても、これらと前後するぐらいの時期である。思い出話をするのは話題にされているように嘗ての西ドイツの首都の沈下を肌で感じたからである。

調べると人口では今でも30万人都市のようで、連邦共和国では大都市となり、マンハイム市単独よりも大きくカールスルーへ程度のようだ。要するに自分自身の生活圏からするとやはり田舎である。嘗てはそれでもバートゴーデスベルクなどは大使館関係の特殊なエリートな雰囲気があったのだが今や難民やモスリムのスラム化が始まっていると言われる。要するにワイン街道の大都市通勤圏からすると可成り朽ちている印象さえ受けた。それでもドイツェポストやテレコムなどの所在地であり、ベルリンへ移動しなかった連邦共和国政府機関も少なくない。なによりもベートーヴェンハウスがある。大学はボンの大学もありケルンも通勤圏なのだが、そもそも西部ドイツ自体が産業構造の変化で所謂ルール地方の没落と斜陽で地盤沈下が甚だしい。

ベートーヴェンハレもそのような訳で、取り壊しや新祝祭劇場への移転などの議論があったのだが、ポストがプロジェクトから降りることで御和算となり、歴史的建造物としてこの十月十日から補修拡張工事が予定されているというものだ。バーデンバーデン祝祭劇場でも倒産騒ぎから軌道に乗せるまでの苦労があったが、政治的な決断がなんとか繋いできた。べ―ト―ヴェンハレの改修費が当初よりも一千万ユーロ大きくなるとして、否定された新祝祭劇場案七千五百万ユーロと同額になるとあって話題になっているが、そのような費用では新劇場などは出来なかったに違いない。

行き帰りはいつものようにエコ運転を心掛けた。ミュンヘン往復に比べれば300km近く短く、時間的にも三時間ほど短いという事になろう。実際に帰りは八時半ごろに駐車場を後にして、帰宅は十時半前だったので、出かけたのが二時前で、滞在移動時間は八時間半ぐらいだった。演奏会が二時間半、その前一時間がオリエンテーリングと、五時間の移動となった。燃料も金曜日のナーヘへの往復と合わせて消費70L以下であるから、まあまあだろう。そして以外に川下に降りていくにしても、途中のフンスリュックを超えるのに燃料を費やすことになる。ボンが標高60mなのに対してこちらは140mぐらいなのでそれほど変わらないという事になる。

パンをピクニック用にアイス手提げの中に入れて持って行った。冷たいハーブティーを楽しみ、ボンの専用駐車場のこちらよりは五度も低い木陰に停めた車で早めの夕食とした。自宅から往復ノンストップで移動した。当日はボン周辺は若干曇りがちで涼しかったのだ。ワイン街道が摂氏30度を超えていたのが嘘のようで、ラインへと降りていく高速道路の外気温が26度しかなかったのには驚いたのである。まあなによりも車の移動中はエアコンが効いて気持ちが良い。途中工事が一か所しかなかったのも功を奏した。



参照:
天候不順な中を往復 2016-06-02 | 生活
中立エコ試験の一覧表 2015-11-10 | テクニック
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by pfaelzerwein | 2016-09-12 18:26 | アウトドーア・環境 | Trackback
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