囮になる狩りのその日

健康の為に、整腸作用のために走りに行った。気温摂氏二度でも寒気がする。先週末の鼻風邪が尾を引いたのだ。今週末は山登りをしない予定で、日曜日に洗濯も済ませておきたいので、峠攻めでお茶を濁すことにした。今週は膝の故障の時以来最も距離を走らなかった週かもしれない。それでも寒さが堪えるので、暖かくなるのを待って出かけた。

そして駐車場に来ると見かけない四輪駆動の車が沢山停まっていた。作業でもあるのかなと思っていると、「狩り注意」の標識と通行止めの規制線が張ってあった。樵作業での立ち入り禁止は頻繁にあるのだが、狩りでここまでの通行止めは珍しい。丁度下りてくる道が止められているので、峠までの林道を駆け上がりそれを駆け下りてくることにした。峠まで上がれば下りてくるのも楽しみだ。どれぐらいの速さで駆け下りれるか。一度試してみたかったのである。

なによりも森の中が気になる。銃殺されては叶わないからである。しばらく行くと、丁度バムビと出会う場所の先に車が停まっている。そして更に行くともう一台。てっきり左の森の中での猟かと思っていたら、どうも狙っているのはいつものバムビで、それなら何カ所か我が進行路と交差する地点がある。これは要注意だと思っていると、見張りが椅子を下して銃を構えて座っていた、声を掛けて更に進めることを確認する。

そして長めの高速を出だせる直線でも一人、更に一人と、等距離に見張り置いていて、林道を横切って森に入ったところを上から狙えるようにフォーメーションをとっているようだった。そうなると私もバムビの動きを知っているので、仕留められるのが分かる。

先ず関心毎はこちらの安全性なのだが、最初から林道上へは銃を向けない体制が引かれていることは後で納得した。危険性があるのと相打ちになる可能性もあるからだろう。要するに追い込み猟なのだ。

峠につくとまだ向こう側に見張りがいたので、かなり広範な領域に網を掛けていることになる。急いで折り返して走り出すと、今度は右の上手から犬を追う声と犬の声が聞こえて、右上の斜面をバムビが逃げて来ているのが見えた。流石に立ち止まった。銃先とバムビの延長線を走り抜ける勇気はない。止まって様子を窺っていると、森の中から猟の親仁が挨拶してきたので手を挙げて通過した。

仕留められるバムビのことが気になっていたのだが、逃げる姿を見ると年行った母親か父親が犠牲になるように動いていたようで少し安心した。家族から離れて囮になっているようだった - 子離れが出来ているということか。何度も出会っているバムビ家族なのでその消息が気になるところであるが、それならば丁度よい間引きになるのだろう。

立ち止まったり、なんだかんだと真面な計測は叶わなかったが、距離からするともう少し延長するだけで5㎞コースになることも分かり、30分往復も可能なことが分かった。直線のところを降ると結構スピードを維持するのに苦労したので、登りでももう少しスピードが出せることも分かった。標高差からすれば30分で走り切ればそれはそれででよいだろう。最高速はあまり出なかったが、流石に林道は早く走れて想像以上に快適なコース取りになることも分かった。峠から100mほど先まで余分に走ればよいのである。



参照:
変遷と過渡期を想う 2015-11-14 | 雑感
己を映す馬鹿の鏡 2016-06-12 | 雑感
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by pfaelzerwein | 2016-12-17 22:36 | アウトドーア・環境 | Trackback
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