クリスマスの買い物終了

クリスマスの買い物を終えた。例年のようにストレス勝ちの年末であるが、この辺りで一段落となる。買い物に早く出かけるために早めに床に入った。何も特別なことをしようとは思わないのだが、毎年のように習慣になってしまうと、考える必要もないが強迫観念にもなってしまう。以前は祝日連休ともなると買い物を済ませておかなければ困るとか、どこかに出かけなければ行けないとかの別の強迫観念があった。実際に生活上困るからである。それが今や習慣に縛られるようになっているのである。

コメント欄でドイツのクリスマスは?という問いかけがあったので、つくづく日本の正月三が日に似ているなと思った。家族が年に一度に集まる機会であるというのがこうした習慣性を如実に表している。キリストの生誕と関係があるようでないようでの因習化したことの方が重要な要素となっているのである。日本の正月に関しては充分な分析が出来ていた筈だが、こうしたクリスマスとの差異が分からなくなったり混同してしまうような気持ちになると、その因習化した意味について目が開かれるような気がする。モミの木の飾りの為にマーケットをさまよう人や門松や飾りを終える新年のそれの共通性など一神教のそれと多神教のそれとの差とは関係ないそれが面白いのである。

ラディオでは合衆国が初めてイスラエルへの国連決議に拒否権を使わなかったとニュースになっていた。反イスラエル政策だとイスラエルは批判するが、オバマ大統領が最後の最後で主張をしているのが興味深い。対イスラエル関係に関しては冷え込んでいるのは分かっていてもこうした態度は前例ともなるので国際政治上も意味があるのだろうか。少なくとも徐々に公平な態度をとれるようになって来るならば意味がある。連邦共和国のイスラエルへの態度に関しても徐々にその熱量を落として来ているのは明らかで、ユダヤ人問題からあからさまに批判は出来ないにしてもその政策を肯定はしていない。

クリスマスイヴは、来週の最終週のことも用意しておかなければいけないので、少し仕事をしなければいけないかもしれない。昨晩は暖かくなることもあって、再び暖房を消して就寝した。どうも歯茎の調子は歯軋りよりも就寝時に顎を下にするとかで物理的な圧力がかかっていることで悪くなるらしい。これではなかなか炎症が治まらない。寒気もこの炎症から来ているとなるともう少し注意しなければいけない。

起きたのは予定していた暗闇ではなかったが、雨が降っていて車通りも少なかったので寝坊をしたのだろう。急いで身づくろいをして出かけた。パン屋は無理なく駐車出来て、行列も思ったよりなかった。欲しいものが買えた。その足で市場に行って何時ものスパイヤーからの魚屋でテリーヌなどを購入した。14ユーロを超えて予算を超えて支払い不能なので急いで銀行に金を下ろしに行った。そして支払いを済まして八百屋に向かった。何時ものようにプレゼントの花の小鉢を貰いに行く。予算よりも少なくここでは10ユーロを切った。これで完璧である。一先ず安心だ。



参照:
クリスマスマーケットなんて 2016-12-21 | マスメディア批評
待降節第四主日を終えて 2016-12-20 | 暦
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by pfaelzerwein | 2016-12-24 19:14 | | Trackback
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