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エルブの容赦無い音響

興味はないと書いたが、エルブフィルハーモニーの式典での音響に関して書いてあるとなると読まなければならない。豊田泰久の音響デザインは明白性があってもむしろ響き過ぎるというのが定評のようだ。そして今回のワインヤード型ではその視覚上の見やすさのように、まるでスタディオのように聞こえ過ぎると書かれている。当然ながら修正されることもあるだろうとしながら、舞台の音も客席の音も同じように聞こえ過ぎるらしい。つまりざわつきだけでなくて、少しの演奏上の間違いがはっきりと聞こえるというのだ。

視覚と聴覚の印象に差異が無いというのは先ず基本らしいが、音楽的な方向として分析的な響きに重きが置かれるということになるだろう。恐らく今後ともグスタフ・マーラーの交響曲のような大音響の創作はポピュラー部門以外では創作されることはないと思うが、細やかな丁度舞台音楽では昨年初演の「南極」のような書法はライヴエレクトロニクスと同様に演奏される機会が多くなると思われる。その意味からは細部が分離するぐらいの音響は間違っていないのだろう。但し音の混ざり方も調性音楽だけに関わらず重要な要素であることからすれば、鳴りきるだけの音響のつまり消えていくだけの容量があるならば濁らずに混ざるということも必要なのだろう。

そしてここまで書いて放送録画を流してみる。なるほどパルシファル前奏曲でもその明白さは弓の動きや金管のブレスまで分離して聞こえるので楽師さんにとっても指揮者にとっても厳しそうだ。しっかりテムポを与えてアーティキュレーションしての指揮の挙動まで聞こえてしまう。なるほど新聞にヴィーンからフィルハーモニカ―が来て試練を受けるというような意味合いにも読み取れた。誤魔化せば誤魔化すほど下手に聞こえそうである。しかしシカゴ交響楽団にはよいだろう。NDRは交響楽団に更に視聴料をつぎ込むつもりか?

視覚的にはぶつぶつの壁も悪くはない。あれは自宅で使いたいと思う人もいるかもしれない。そして客席と舞台が近いのに驚く。センターマイクからの音も可成り近接な感じがする。合唱交響曲になると弦の弾かせ方などはなるほどと思う。「こんな音ではない」の歌で思い出した。

2000年に亡くなったハリウッドの役者ヴェルナ―・クレムペラーが名指揮者オットー・クレムペラーの息子さんとは知らなかった。こちらでは90年代に放送されていたCBSのホーガンスヒーローズでクリンクとして有名な役者だった。その他、「グレの歌」の小澤盤でも語りを受け持っている。



参照:
ピエール・ブーレーズの家構想 2017-01-14 | 文化一般
交響する満載の知的芸術性 2013-04-03 | 音
by pfaelzerwein | 2017-01-15 22:51 | | Trackback
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