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異次元の大ヴィーナス像

承前)少し興奮状態で朝起きした。夕刻の初日の総稽古風景を観たからである。快晴になって横になってはいられない。早くから出かけるとパン屋がまだ開いていなかったのでその前に一汗かいた。まだまだ「タンホイザー」は頭に入っていないが、自身にとっても作品にとっても殆んど初演のようなものであることは、幾つもの演奏の録音を聴いていて分かっている。なぜこの作品の演奏が難しいのか、それともあの頃のヴァークナーの創作の問題なのかはよく分からない。恐らく、バレンボイム指揮の演奏のようにオペラ業界の伝統や慣例の中で上手にお茶を濁しておいた、つまり作品自体が作曲家の最後までの心残りであったことに関係しているのだろう。

ミュンヘンの新演出タンホイザー初日である。バイエルン放送で放送された総稽古の様子を観る。キリル・ペトレンコ指揮の演奏が次元が違うことは何時もの通りであるが、演出も次元が違っているようだ。但し成功するのかどうかは分からない。

ヴィーヌスをパンクラトーヴァが歌うという意味を知った。なるほど考えてみればヴィーナスは美しい女性でなければいけない。だからおばさんが「(今後ともお呼びがかからない)興味がない役柄」ということなのか?兎に角、肉襦袢を着ないでも充分だと思うのだが、「今までのタンホイザーとは次元が違う」ことは間違いないと保証してくれている。それにしてもおばさんのヴァリコフスキー演出「影の無い女」のバラックの妻の歌唱を思い起こせば、今回も立派な歌を演技を披露してくれるだろう、正しく体当たりの「大歌手」である。

それにしても自らフィッシャーディースカウの亜流というゲルハーエルのインタヴューを聞くと、結構面倒なことを語っている。エリザベートのハルテロスなど豪華キャスティングなのだが、どれもこれも一言ありそうな歌手陣で、指揮者は余程ずば抜けた力量が無いと纏まらないことは明らかだ。正しく、現在のミュンヘンの歌劇場でスーパーオパーが上演されている所以だ。いずれにしても、「影の無い女」の演出同様、そこで救済などされなくても、昨日から今日、今日から明日への時の流れがそこに河のように流れ続けているという感覚は共通しているようだ。

午前中にあるバイエルン放送交響楽団の番組の中で先ほど亡くなった指揮者スクロヴァチェスキー指揮のブルックナー交響曲二番が放送される。あのハ短調の響きが魅力的な曲であり,中々名録音が無いので夕刻の予行練習として録音してみようかと思う。(続く



参照:
感動したメーデーの女の影 2017-05-03 | 文化一般
入場者二万五千人、占有率93% 2017-04-21 | 文化一般
by pfaelzerwein | 2017-05-21 19:51 | 文化一般 | Trackback
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