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音楽後進国ドイツの野暮天ぶり

久しぶりに8キロコースを走った。バーデンバーデンへのお誘いもあったのだが、暑さと湿気があるのでそれは次回に譲り、長目に走ることにした。目標は一時間だが、どんなにゆっくり走っても1時間は掛からない。勿論谷登りを歩けばそれぐらいかかる。昨年6月以来の踏破であるが、全区間を走るのは二三年ぶりだろう。なにが億劫かというと一気に300メートル以上の高度差を登るので歩いていても息が切れる急坂なのだ ― プファルツの森の中で知っているところとしては一番きつく長い。だから山登りコースよりもずっとスピードを落としていても上に着くまで息がつけない。

沢沿いをゆっくりと走り、余力を残して谷に入る ― 丁度そこの泉に立ち寄るバムビの親子が見えた。まだまだ小さな子を二匹ほど確認した。木陰の陽射しが背中から射して、思ったよりも涼しくない。リズムを崩さないようにした。流石に沢を詰めるあたりの急坂は足が前に出ないが、今までの中では一番真面な足取りを踏めた。20分ほどで坂を上り終えたので結構早かった。

週末は金曜日から三日続けて走ったことになる。総計して18㎞ほどなので大したことはないが、夏場に集中して汗を掻いたのは良かった。七月は休みがちだったので何とか帳尻を合わせられた。お陰で夜中も目が覚めずに眠れた。

先日購入したCDを大体流した。シュピ-ゲル誌の特選集盤は演奏時間が短い感じがしたが、しかし調べてみると70分超えどころか、「冬の旅」などは78分を超えていた。最近は三時間以上のオペラなどをファイルで流しているので、CDでさえ細切れな感じがするのだろうか。

モーツァルトの一枚は、演奏会の合間のプローベとして録音されているのかどうかは分からないが、アバドが音楽監督になって、先ほど亡くなったクスマウルがコンサートマイスターとして呼ばれた直後の時期の雰囲気が良く出ている。カラヤンサウンドを壊すばかりにアンサムブルも荒い印象が強く、思いのほか暴力的なモーツァルト演奏である。アバド指揮の録音も持っていて、今回初めてCDで購入したヴィヴァルディの「四季」がまた面白い。

ターフェルムジークと称する団体の演奏だが、ここまで和声の線が楽しめると如何にヴェネツィア楽派が洗練されていて、北方のバッハらの辺境の音楽家達が、そこから「モダーン」を学んだのかがよく分かる。練習曲のような、インヴェンションというのが正しいのかもしれないが、その颯爽としたテーマは、現在でもヴァネッサ・メイなどがビキニ姿でポップスとして弾いても、格好の良い楽想になっている。これまた如何にも売れる名前のイムジチ合奏団などの演奏では到底気が付かなかった精妙さは、まさしくバッハらが胸をときめかしたであろう音楽となっている。それはYOUTUBEでこの半世紀間のその演奏実践の趣味を比較すると明らかで、イムジチとメイが一番似ていて ― 要するにアレンジャーたちには世界的メガヒットのイムジチの演奏に肖ろうという気持ちがあったに違いない ―、如何にも戦後の経済成長期といった塩梅だ。上のCD制作録音は、1990年代初めの録音だが、当時の最先端で、テオべのアタックがガツンと効いていて、古楽器の美しい和弦が楽しめる。

二十世紀後半には「四季」はそのように通俗名曲になってしまったが、こうして改めて聞くと「名曲」に違いないと思った。但し9枚組のビヨンディ指揮のCDを購入しても曲ごとに意識して楽しめるかどうかはあまり自信がない。それにしても音楽後進国ドイツではそれから半世紀ほどしても通奏低音のごつごつした器楽を奏でていたことを考えると、その野暮天ぶりの原因はルター派のミサをはじめとする生活文化としか考えられない。



参照:
漂う晩夏から秋の気配 2017-07-25 | 生活
Simple is the best. 2017-07-28 | 雑感
by pfaelzerwein | 2017-07-31 21:22 | 雑感 | Trackback
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