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様々な角度から再吟味

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NHKからの放送を聞いた。昨年五月の新制作「タンホイザー」の初日の中継録音だった。その初日の生中継とこの放送の両方を聞いた人はどれほどいるだろうか?両ラディオ放送は聞けていないが、両ネットストリーミングと前者のベルリンからの再放送ストリーミングを聞いている。少なくとも今回の放送の音質は全く異なっていた。理由は分からない。生放送の再放送は、フランクフルトのARDアーカイヴのネット経由での放送だと思うが、今回もそこからのネットのものかどうかは知らない。ただし音声データー自体が異なっている様に響く。

細かくは楽譜を見ていないので確認しておらず、印象としては音楽的な編集はしていないと思われるが、所謂劇場の雑音などは押さえられていたと思う。それ以上に舞台と奈落の管弦楽が上手くバランスしていて、音像からすれば殆ど劇場での制作録音のような感じである。実際にこれだけの出来上がったアンサムブルを録音した制作録音も思い当たらない。初日の生中継はいつものこと乍らそのダイナミックレンジも安定しないので、どちらかと言えば雑音も多く、落ち着かないばかりか、音像がハッキリしない。その両面が補正されている。ダイナミックレンジのヘッドスペースを最小にすれば事実上拡張したような感じになって今回のように響く可能性もある。若しくはMP3などの圧縮を使うことで、可聴外の響きの会場の音像を切り除くことで、ズームインしたようなこのような効果が出ることもある。

但しNHKFMのストリーミングがそれほど悪くはないのはNHKホールからの中継録音でも経験しており、またミュンヘンの方でそのような音源を提供することもない筈で、実際に今回の放送の集中した音像はある面あの劇場での生の響き感じをも想起させる箇所もある。要するにファイルのデジタル処理ぐらいの差ではないようにも感じた。その一方ダイナミックレンジの上限が合わせられていて、チェロの一本一本や木管の一節までが聞こえるように前に張り出してきている。しかし前記の再放送録音をアップサムプリングしたようなものを聞くと高弦の響きも解放されて自然なのに対して、今回のストリーミングは如何にも中域のバランスが高くて押し出しが強い。

ドルビーデジタル5chの放送は聞いたことが無く、生放送時の位相のずれ感や発散した集中しない音像の感じはその際のステレオへのトラックダウンに原因があると思っているのだが、バイロイトの中継などではそうした悪影響は感じられない。劇場のストリーミング放送でもその影響は無く、バイエルン放送局が協力しているArteの放送時にもそれが感じられない。すると今回の放送のトラックダウンが異なるようにも感じた。

放送技術に関しても詳しく情報を集めなければ分からないのは楽譜を見乍らでなければ音楽的な詳細が分からないのと同じだが、音響効果としては声や楽器の発声が明晰になって、和声的に定まった印象が強くなったので音楽的な印象が単純明確になっている。要するに分かり易くなっている。ティムパニ―の叩きなども劇場の場所によっては同じような印象であり、昨年の日本公演でのペトレンコ指揮での評価に強い音が出ないというような頓珍漢なものがあったが、この録音放送は全く正反対な印象を与えただろう ― 兎に角、そうした演奏実践に対する単純な印象に関しては自らが楽譜に当たってみるしかその個所で何が起こっているか確認する方法はないのである。

今回も放送をAudicityで録音してみたが、早朝の仕事で同じノートブックを恐らく弄っているところで肝心の一幕で何度か音飛びをさせてしまっていた。やはり24Bit48000kHz録音は負担が大きいようだ。先月の「三部作」ではpdfの音譜を捲るぐらいでも、一部「外套」だけには音飛びがあった ― なぜだろうか。

また七月の上演のArteの画像の大きなのがネットに落ちていたので拾ってみた。容量が7GBを超えていて、HPからDLした3.47GBの倍である。中身を見るとフランス語字幕だが、画像の大きさが1920x1080でFullHDであり、音声はAACながら576 kb/sまで伸びていることになっている。内容自体はHPのものとまた異なる。最初の序曲からして奈落が映らない。要するに乳出しの方にフォーカスが当たっている。これで劇場ストリーミング生放送と二種類のArte放送分が揃った。つまり今回見つけたのはArteの生中継カットということになりそうだ。つまり前後は異なっても劇場の生放送に準拠している。劇場物との最も大きな差異は画像の質で乳出し女性らの下半身の下着が否が応に目に入るエロさだろうか ― ヴァーギナの中が覗かれる一幕二場で、詳しく見ると放送日には下着の着脱が他の日とは異なっている部分もあったように思うが、そこはやはり完全にポルノ仕様になっていて、そこが明白でないとやはりカステルッチ演出の真意が分かり難いかもしれない。

但し録音も演奏もとても落ち着いていて、とても優雅な感じは初日の演奏にはなかったものだ ― ゲルハーハーの歌う「夕べの星」に顕著だ。恐らくこの日の演奏が残されている録音で圧倒的に優れたものであることは間違いないが、歴史上も最も完成度の高いこの曲の上演ではないかと思う。今回こうして高画質の気が利いたカメラアングルで観ていくとやはり演出共に美学的に可成りな制作であったことが理解出来るようになった。歌唱も演技も可成り程度が高い。



参照:
旧ビジネスモデルをぶっ壊せ 2017-08-05 | マスメディア批評
殆んど生き神の手腕 2017-07-13 | 音
by pfaelzerwein | 2018-01-07 05:12 | 文化一般 | Trackback
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