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名門管弦楽団の演奏会

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ポストに案内が入っていた。ベルリンからかバーデンバーデンからかは分からない連名によるものだ。初めてである。要するに来る復活祭のプログラムが入ったご案内で、例年よりも売れ行きが悪いのかもしれない。昨年のプッチーニ「トスカ」後遺症があるのかもしれないが、そもそも後継者ペトレンコ指揮のコンサートの様に完売はなかなかしなかった筈だ。それでも今年はフィッシャー指揮とハーディング指揮などなかなか売れそうにないコンサートが二度もある。一昨年はより知名度の無いホーニック指揮でも結構売れていたのは「悲愴」だったからだろうか?最終的には市内で配るのだろうが、気になるところである。興味深いのはこうやってフィルハーモニカーの便箋でツェッチマンの名前と連名で、恐らくデジタルコンサートの名簿を使って案内を出すことで、これはより両者の一層の協調関係を示唆するようで、ペトレンコ体制へと一気に進めて貰いたい。

ライプチッヒからの中継を聞いた。バイエルンからは「利口な女狐」もあったようだが、そこの放送交響楽団がクリーヴランドのような程度で演奏出来るとは思わなかったのでどちらでも良かった。しかし21代目カペルマイスター就任演奏会には食指が向いた。一つは昨年生を聞いて「聞き直した」名門管弦楽団が様々な曲でどのような演奏をするか。もう一つはボストンと掛け持ちの真面に聞いたことのないアンドリス・ネルソンズ指揮の演奏を聞いてみたかったからだ。

昨年はブロムシュテット指揮でなるほど欧州でベルリンのフィルハーモニカーと並び称されていた意味は理解したが、今回は委嘱作品もあり、得意と言われる古典からロマン派までの音楽以外でどれほどの演奏が出来るかが知りたかった。一曲目のヴァンデルング好きの作曲家シュライヤーマッハーの曲は、その名の通り紗幕が掛けているような音響で放送技術的な問題かとも思ったが ― どうも会場のメインマイクロフォンの響きもそうなのだが放送のサラウンド放送のミキシングの悪影響がステレオサウンドに出ているような不満だ ―、少なくとも指揮は左右の手で振り分けているような流石に業界の評価が高い指揮者らしきは確認できた。BGMとして流していただけだが、その後のベルクの協奏曲が悪かった。これならばミュンヘンの座付きがペトレンコ指揮で演奏すれば遥かに素晴らしい演奏が出来ると思った。

なるほどボストンの交響楽団を率いての日本公演でもあまり評判が良くなかったように、就任演奏会で何も出来ていないのには呆れた。恐らく器用貧乏の指揮者で、大陸間の掛け持ちなどの時間的な制約よりも落ち着いてしっかり仕事の出来る指揮者でないのだろう。若干アスペルガー気味の才能なのだろうと思った。それでも楽員には評判が良く、ソロパートなどが表情をつけるとそれに合わせて振ってくれるというのである。それにはミュンヘンの座付きの楽員たちもころりと惚れ込んだようで、様々な次期監督候補者模擬試験で登場したヨロウスキ―やジョルダンなどとは一頭抜きんでて評判が良かったようである。

しかしアンサムブルの質やその方向性については導くような指導力が無いようで、シャイ―が残した成果に匹敵するものは残せる人ではないだろう。そういう音楽作りであるからオペラ劇場では成功する可能性があるのだが、恐らく指揮者としては超一流からは遠いと思う。やはりアルバン・ベルクの書法などを考えると、読み間違いとまでは言わないが、そこまでの深読みの出来るような能力の指揮者でないのだろう。一流の才能があって恐らく現在の業界で指折りの中に入っているような人だけにとても残念なことである。これではこの名門管弦楽団の素晴らしいのコンサートのプログラムに出かけるというようなことはなさそうだ。ボストン然りである。この指揮者には小澤征爾のような才能は見られない。そしてここ一番であの押さえつけたようなメンデルスゾーン演奏は一体なによ、これならば快活さが無いようなユロウスキー指揮の方が遥かに飛翔があるではないか。

「ペトルーシュカ」を昨年のラトル指揮の実況で聞いた。日本でも演奏したらしく、そちらの方が名演だったと囁かれていたが、なるほどそこまでは更っていなかったかもしれない。しかし関心ごとはその解釈と演奏実践である。ネットで落とした楽譜には二種類あったが、片方はとても悪いもので全く音楽が出てこないもので、想像するにストラヴィンスキーの書法を従来の西欧風に分かり易くしたものかもしれない。楽譜の版もあるらしいが、印象としては指揮者のお得意のストラヴィンスキーをソリスツの名妓を引き出しながらの計算された演奏実践のようだ ― 因みに私はラトルが青年時代にユース管弦楽団を振ったお宝「春の祭典」LPまで保持しているファンである。なるほど楽譜から音楽が広がるのだが、ここここは違うのではないかという疑問が幾つも見つかった。

主に弱拍での音楽の流れやアクセントの付け方なのだが、もっと端的に言うと後任者のペトレンコならば絶対流さないというところが頻出する。まさしくそこにストラヴィンスキーの音楽があると確信する。そのあたりはブーレーズは逆に上手く誤魔化して早いテムポでサクサクと進めるのだが、少なくとも誤らないような配慮が行き届いている。打楽器奏者出身のラトルが音楽を計算通りに作っているのは間違いないのだが、欠落しているものがあるのではないかと思った。日曜日のイスラエルのフィルハーモニカーが立派な演奏をするなどとは期待していないが、少なくとも何が欠落しているかを分からせて呉れるだろうと楽しみにしている。そのピアノを弾く王はとても重要なことを学ぶだろうと思う。



参照:
華為 or 羽佳!? 2018-02-23 | 雑感
いぶし銀のブルックナー音響 2017-10-31 | 音
by pfaelzerwein | 2018-02-23 22:54 | 文化一般 | Trackback
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