響く深い陰影を観る

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ディスプレーを入手した。2016年夏に購入したBenQの上級機である。幾らか価格も高く、設置場所の大きさが分からなかったので前回は一つ小型の22インチのを109ユーロで購入した。今まで使っていて大変満足したので、安かろう悪かろうではないと思って購入を決定した。一つ新しいモデルが出ていたので選択を迷ったか、新しい方はなんとエコマークBで古いもののAよりも後退している。理由は自動的に画面を調整することから、よりエネルギーが必要になったのようだ。枠組みなどは全く同じで、性能も変わらないのだがセンサーが付いて自動調整するらしい。デスクはバルコンに背を向けていることから、陽射しの影響を受けやすく、あまり容易なセンサーでは誤操作に泣かされることも考えた。太陽光の問題はとても影響が大きい。

陽射しのあるのを利用して、籠り部屋を出て暖房の無い部屋でこれを書いている。受け取ってまず気が付いたのが大きさの割の軽さであり、薄さだった。設置してからも定規で測り直したぐらいで、枠が薄くなっていてエレガントさでごつさを感じない。だから目の錯覚で小さく見えるようだ。

期待した画質の向上は調整前とは言っても少々がっかりした。理由は暈けた感じに見えたからである。明るさも若干暗めなので余計に冴えない。しかし壁紙にしている写真を見ていて気が付いた。宣伝通り色調が深い。つまり色調の段階が暗くなってもまだ続いている。それを見る前は「暗さが冴える」とは白黒フランス映画の暗い場面の深さぐらいにしか考えていなかったが、とんでもないと気が付いた。

最初に足りなかったように感じたコントラストがハッキリして輪郭が浮かび上がることがデジタル技術の勝利だと思っていたが、大きな間違いであることに気が付いた。そもそも色調のグラデーションとか言っても実はそこをあまり意識していなかった。正反対に輪郭を浮かび上がらせると言ったら最終的にはアニメになるので、本当の輪郭はそのような線で切られている訳ではないのはなにも数学的な概念まで持ち出すまでの必要も無くて分かっていることだ ― だから私は子供の時からスケッチが苦手だった。輪郭とはフラクタルであることを認識していたからである。

それなら聴覚はどうなのかと考えると、もしかすると本当に大丈夫なのかと心配になる。つまり上の例で考えると、深いグラデーションに相当する響きをしっかりと聞き取れているかという問いかけである。上のデジタルの例を器楽演奏に当て嵌めるとやはりピアノ演奏と言うことになるだろうか。創作ではどのようなものになるだろうか。

兎に角、単純に感じる鮮烈さ分かり易さと、本当の質というのは異なると言うのがこのようなデジタル技術を通しででさえ確認されるのである。単純明快なものは万人に一目瞭然なのだが、それを良しとすることで人々の審美眼どころか、五感さえ鈍らせていくことになる。そこにはもはや芸術などは必要ない。そもそも芸事や工芸品などは、あくまでの優れた技によってなされたものであり、それ以上でもそれ以下でもないことを考えると、そうした違いを吟味しないことにははじまらない。まさしく五感を研ぎ澄ますことと相似関係にあるのだ。

なにはともあれ、台湾企業の中華産の工業製品でそこまでの違いを感じさせて呉れるのはやはり素晴らしいと思う。同時に幾つか買い求めたコムパクトカメラが予想以上に高品質になっていたことにも驚いた。デジタルカメラの良し悪しはそれなりのモニターが無いことには判定不可能なことが今更ながら分かった。Iフォンは使っていないが、音声も画像も真面な装置で比較しないことには判断なんかできる筈がない。その携帯電話などでの再生の出来で判断していては話しにならないだろう。



参照:
フリッカーフリーの実感 2016-08-24 | テクニック
驚愕ラズベリーパイ3 2016-10-22 | テクニック


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by pfaelzerwein | 2018-03-01 23:42 | 雑感
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