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音楽監督と至福の生物

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ベートーヴェンの交響曲など勉強するなど久しくなかった。記憶に無い。一昨年位にフルトヴェングラーの「英雄」ウラニア盤のデジタル処理したのをYOUTUBEでみて聞いた。最近では八番をクリーヴランドの楽団でメストが振るも生放送録音を聞いた。実演では、バーデンバーデンでの初めて聞いた第九ぐらいで、その前はクライバー指揮の第七と第四だったろう。

先ずはカルロス・クライバー指揮の第七のLPを聞いた。とても汚い演奏で、当時鮮烈と騒がれていたサウンドも昨今のカラヤン二世指揮のそれのように磨かれていない。父親は超一流の劇場指揮者だったが、この倅も如何にも劇場指揮者らしい演奏である。これは気が付かなかったが、調べてみると未だに天才と人気のあるこの指揮者はあまり交響楽団を指揮していないのが分かる。そしてベートーヴェンの交響曲の指揮でのテムピ設定などがあまりにも節操がなく、その流れを大きく作画しているのが良く分かる演奏だ。

彼の指揮するヴィーンでの「ばらの騎士」の視聴でもあまりにも失望したのに続いてまたもやの駄目押しである。そこで取って置きのフルトヴェングラー指揮べルリナーフィルハーモニカーの1942年頃の録音を聞くと、その端正な美しさと響きの透明さに圧倒される。劣悪な録音でも上のヴィーンの座付き管弦楽団との演奏技術の差が甚だしい。戦時中は劣化していたとされる比較的新しい交響楽団であるが、戦後その芸術的な水準にまで至っているとは思われないほどに素晴らしい。

子供の時は劣悪な音質の録音でそこまでの確信は持てなかったのだが、流石にこちらもその違いぐらいは聞き分けられるようになった。なによりも導入部のドルツェの副主題部の扱いへととても合理的に移行する。それは冒頭の主題のテムポ設定が正しいからで、これだけでクライバーの遣っていることが如何に才気あふれる霊感とは全く関係ないかが知れる。要するにヴェリズモオペラ風の要領であって、違和感無しには聞けない。そのドルツェが如何に大切か、もうここで倅は親父と違って話しにならない。

如何にフルトヴェングラーがトレモロやテヌート記号の意味を解いて読譜して全体のフォームを整えているか、如何に楽譜に忠実であるかはそのアゴーギクの設定以上に重要であり、逆に帳尻合わせをするわけではないそのテムポの安定感は揺るぎないのに驚くだろう。まさしくこの天才指揮者が練習で入念に合わせていたアゴーギクは全体のテムピ設定における安定感に結びついているようだ。自身がラディオで語っていたようにテムポを保つ天性の才能があったことは間違いない。

兎に角、フルトヴェングラーのベートーヴェンの交響曲演奏実践を知るともはやどのような演奏をしてもそのような立派で美しい交響曲解釈などは存在しないことが知れるのであり、如何なる演奏も避けていた私の矜持がそこにある。そして今年はあの台北で一部が聞かれたキリル・ペトレンコ指揮の七番の演奏会があり、来来週にサイモン・ラトル指揮での演奏が待たれるのだ。前者の一楽章第二主題副主題部での踊りはまたここでドルツェへと続く。もう少し研究してみよう。

オペラ指揮者クライバーで記憶に残るのは「オテロ」演奏であり、今年はまたその時以来の「オテロ」再会となるようだ。ミュンヘンの劇場からの新プログラム発表のストリーミングを観た。なるほどドミンゴに代わるオテロはカウフマンしかいないかもしれない。見事にこちらの推測が外れ、ドビューシーではなくヴェルディが来た。そしてもう一つは「サロメ」だった。前者はレパートリーとして本人の穴になっていたところなのでオペラ劇場でやり遂げておくべき作品として理解出来る。しかし「サロメ」新制作は「ルル」のDVD化と同様マリス・ぺーターセンに押されてというが、フェストシュピーレにおいても新制作シリーズとして四回上演しか計画されていない。なるほど本人の語るように、「オテロ」におけるのと同様に、異なる管弦楽版が存在して原典に返るということならば音楽的にも幾らかの価値はあるのだろう。それでもやはり歌劇場との関係を語らざる得ないのも頷ける。

明らかに音楽監督として目標としたところから着地点を完全に定めたといった塩梅だ。建前としてはカウフマンやハルテロスとの記念碑のようなことであるが、それらが専任として最後の新制作となり、キリル・ペトレンコのオペラ音楽監督としての頂点は2017年―2018年だったということになるのではなかろうか。

「ミサソレムニス」を、合唱団との幸運な協調作業として ― 恐らくその次のシーズンでは「千人の交響曲」だと思われるが ―、人類のエーリアンへのメッセージとしての価値と語った。これもその直前の二月の「フィデリオ」と同様に2020年のベートーヴェン年に合わせる企画だとされる。

今年10月のアカデミーコンツェルトがシェーンベルク協奏曲でベルリンのフィルハーモニカーとのコンサートの練習にもなっているのだが、興味深いのは、もしかする申し込んだくじがあたるかもしれない「マイスタージンガー」の再演で、先ずはフローリアンフォークトがアイへと歌い、2016年のフェストでは叶わなかったカウフマンでの映像が2019年に残されることになる ― 招かれるとしたら9月27日だと分かった。

こうなるとどうしても関心が向かうのは2020年のバーデンバーデンであり、もしかするとミュンヘンの合唱団が出て来るのだろうか。そして残された「トリスタン」の行方はどうなるのか?恐らく「モーゼとアロン」は敢えて座付き管弦楽団で上演する必要もなく、バーデン・バーデンへと残されるのだろう。



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by pfaelzerwein | 2018-03-18 21:48 | | Trackback
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