連邦共和国民の誇り

d0127795_20592997.jpg
カーネギーホールからの放送を録音した。現在はオンデマンドで出ているようだが残念ながらMP3で125kbpsしか出ていないので話しにならない ― そもそも前もって使い物にならないと書いたのは先日ヴィーナーフィルハーモニカーのそれを聞いて知っていたからだ。しかしMP3の方がいい音質だと思う人も居れば、やはりライヴは違うという意見もあった。勿論オリジナルの生中継の程度でしか、ストリーミングとそのオンデマンドの優劣をはかれない。そのストリーミングの情報量にも差があり、そもそも生の収録が上手く行っているかどうかもあるからだ。クリーヴランドの管弦楽団の放送は生の方がバランスが悪く、オンデマンドのMP3の223kbps出ているので、なかなか優劣が付け難い。

実際に比較試聴してみるとMP3の方が聞きやすいというのは理解出来た。なぜならば先ず生放送では前半は可成り音量を下げていて、十分なダイナミックレンジを使えていなかったので、バランスが悪かった。そして会場のマイクロフォンも恐らくセンターで録っているようであまり高音が伸びない反面、低音が可成り分厚く響いた。夜中だから分らなかったがハイレゾ録音を再生すると確認できる。また二曲目の後の静まりでも可成り道路の騒音が鳴り響いていたので、低音成分が溜まりやすい音響なのだろう。つまりMP3の方はそうした音を完全にそり落としている。一番分かり易いのはソロを弾いているユリア・フィッシャーの高音弦の弓の当たりや管弦楽団の音色を聞き分けることで、直ぐに優劣がはっきりする。MP3の方の音色は全て艶消しされている。因みに装置の事故の傷は容易に切り取られている。

MP3の問題については何度も書いているが、奇しくも繰り返すことになった。その最大の問題は一聴それが綺麗に響くような錯覚を齎すことで、そこでそり落とされたものが音楽表現であるとしてもよいような状況が存在しているからである。なるほど今回の例でもストリーミングの響きは音量以外にも音域バランスも悪く、必ずしも快さとは相容れないとなると比較する必要が生ずる。またMP3を試聴すると気が付くのだが、ストリーミングではダイナミックスレンジが充分ではなかったので気が付かなかったが、ソロと管弦楽との音量の差が甚だしかったことに気が付く ― 要するにソロ楽器へのサポートが効いていないということだ。

さてその生録音を聞くと、一曲目のドッペルコンツェルトはハムブルクでも書かれていたように名演で、ソロの二人も息があっていて素晴らしいが、なによりもユリア・フィッシャーの音楽性とブラームスが良くあっていて、更に以前エルガーで共演した時よりも遥かにペトレンコ指揮も寄り添うようになっている。相変わらずペトレンコの方は厳しい弾かせ方を徹底していて、ソロでギドン・クレメルなどが遣っていたような管弦楽団演奏になっている。交響曲4番の演奏を聞いて分っているのだが、フルトヴェングラー指揮やベーム指揮の演奏実践があまりにゆるゆるに思える。今回のこうしたブラームス演奏をドイツ風と呼ばなければ、他にドイツ風の響きや音楽などあり得ないだろう。この時点で、キリル・ペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーのブラームス演奏がどれほど厳しい響きになるかは明白だ。インタヴューでも誇りという言葉が聞かれたが、こうした演奏をする使節を合衆国に送り出す連邦共和国民は首相以下皆それを誇りに思う。

必要もないのになぜかザルツブルクでの演奏会批評が新聞に載っていた。演奏会評は珍しい。それによると良かったのはブラームス交響曲二番だけで、それは皆恐れていた指揮者と楽団のルーティンであるよりもより自由闊達に振る舞った演奏だったということだ。書き手の批評程度は日本人の手によるものかと思うぐらい主観的な報告になっている。要するに音楽がどのようにどうやって奏でられているかなどはあまり関係無く、ただ全身に音響を浴びているだけの書き手である。それでも他のマーラーやメンデルスゾーンやシューマンには大変ご不満のようで、それでもまだオロスコ・エストラーダ指揮ぐらいならまだティーレマンの方がマシだったということのようである。まあ、奏する方も奏する方だが書く方も書く方で、二流の演奏会には二流の聞き手しか馳せ参じないということだろうか。莫迦らしい、紙面の無駄だ。



参照:
バーデンバーデンの調印 2018-03-29 | 文化一般
現状認識と今後の展開 2018-03-26 | マスメディア批評


[PR]
by pfaelzerwein | 2018-03-30 21:03 | 文化一般
<< 索引 2018年3月 バーデンバーデンの調印 >>