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創作などは理解不能

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サントリーホールでテロがあったと言う。それもどうも精神病院から出てきている人ではなかったようだ。やはり日本社会は病んでいると思った。オウムのような連中が出るのだから予備軍は十分に居るのだろう。昨年はベルリンでも同じようにキリル・ペトレンコ指揮のベルリナーフィルハーモニカー演奏会で恣意的な行為をした日本人が居たという事だった。

そのような自己顕示欲を示す場として音楽会やオペラに集う人は居るのだろう。なるほど日本では所謂フライング拍手というようなものが伝統的になっているのは知っている。しかし私が知っている時期はこちらでのそれと変わらずに場を見ながらというのは少なくは無かった。オペラにおいての特にヴァークナーのそれにおいてのブーイングは世界中同じようでバイロイトを中心に白痴が集う。あの連中のイデオロギーもおぞましいが、それ以上にあの連中が如何に日常生活において満たされていないかが良く分かるのだ。だから現実を映し出す所謂芝居的な現実対比の演出となると、ブーイングで憂さを晴らす。如何にもヴァークナー音楽愛好家なのだ。

そこで名言だ。「知らなかったなどとはいってほしくない。」、最初から分かっているのである。今日のような情報過多の時代に、オペラの演出であろうが演奏会であろうが、行く前から大凡のことは分かっている。その判断が出来る者を通と呼ぶのだ。だから私は、そもそも人の悪口は言わない質であるが、貶すようなことならば態々金を掛けて出向かない。それでも確認のためにティーレマン指揮シュターツカペレに出掛けたがブ-イングするほどではなかった、それに値しないからだ。そして安い券で久しぶりにシュターツカペレを聞けたのは価値があった。どこにブーイングする意味があるのだろうか?だからブーイングする連中は如何に表現というものを知らない者たちであるかが知れるのである。少なくとも表現者が考えていることぐらいは理解するぐらいでないと、創作などは端から理解不能である。

ブラームスのピアノ協奏曲のもう一つの手元にあるディスクは最晩年のルービンシュタインが弾いて、メータ指揮でイスラエルで演奏したものだ。先ず冒頭の動機からして、もう一つのハイティンク指揮の録音とは異なり正確に弾かせている。管弦楽団の質がこれほどに違いながらも、丁寧に譜読みがされていて、特に一拍目の置き方が上手い。ハイティンクとは正反対になっている。ピアノもその意味から充分に話し合ってから合わせてあるのだが、如何せん九十歳近い老人の音色は弱弱しい。しかしそれ以上にこの録音が貴重なのは、ピアニスト自身がライナーノートに書いているように、ブラームスをシューマンに紹介し、この作品を授けられているヨゼフ・ヨアヒムからこの曲のテムピやダイナミックスなどについて直接助言を承けられていることだ。

ベルリナーシュロースのシュルターホ-フでのチャリティー演奏会のティケットが月曜日に発売される。1500席であるから、何処の演奏会場よりも少ない。但し野外であるから音響は期待できない。価格は295ユーロ画一だ。再建費用に寄付される。ベルリン在中であったなら購入していただろう。生憎ここからは遠くて往復の燃料費だけでも150ユーロ、そこに宿泊と駐車料金が掛かる。〆て500ユーロでは効かない。夏の終わりに列車で行く気も起らない。その代わりRBBでパブリックヴューイングを流してくれるようだ。これで充分だ。ベルリンの建造物に寄付するほど借りが無い。



参照:
客演で残る指揮者達 2018-04-27 | 文化一般


by pfaelzerwein | 2018-05-09 23:45 | 文化一般 | Trackback
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