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尊重したい双方向情報

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承前)余話となるが、フィラデルフィア管弦楽団の手元の録音を流している。数は少ないが何枚かはディスクがある。こちらではザヴァリシュ指揮のツアーが最も注目されていたがプログラムがつまらなかった。手元にはその頃録音された初代監督ストコフスキ編曲集がある。ムーティ指揮もあるが、気になったのはショスタコーヴィッチ全集で10番と11番を担当しているヤンソンス指揮の録音だ。少し流して気が付くのは、96年の録音だから現在メムバーとは殆ど重ならないだろうが、この指揮者が振ると急に余裕が無くなってしまう。指揮者自身が心臓に来るのは当然というような鄧小平が新幹線を「後ろから鞭が入っている」と評したように、如何にもソヴィエト文化らしい演奏だ。この水準の楽団になるとこの指揮者には振らすのがやはり惜しい、精々オスロやミュンヘンの放饗ぐらいどまりの指揮である。

その点、現監督のネゼセガンは知的程度も高いようでコミュニケーション能力にも秀でている。なんといっても指揮技術的には優れているので、成長が期待される。反面それだけに目立ちがたりであるのは指揮者の本性で、その指揮に批判が集まるのはその点である。技能的にはギリシャ人のカラヤン二世の方が高いのかもしれないが、フィラデルフィアでのつまらない録音も楽団のためと言うならば理解されよう。そして今回のようなプログラミング作りは、その能力の一つとして十分に誠実さを窺がわせ、舞台捌きも決して悪くはないどころか、広い聴衆に訴えかける力も有している。プロテストについて一言付け加えた前夜に続いての同曲のアンコール「愛の挨拶」までのプログラミングもである。

今回のイスラエル建国70年ツアーに際して、その抗議活動も含めて、やはりこの活動に注目したい。まさしくコメントされたように、今回のツアー実施への裏表をも全て含めての決断への「尊重」である。この点では、生誕年と言うだけでなく、そのバーンスタインの交響曲「不安の時代」の演奏が先ずは火曜日にエルブフィルハーモニーから一時間時差で生放送される ― 既にフィラデルフィアからは放送されている。この指揮者の音楽的な実力もその限界もある程度は把握出来たと思うが、彼自身が語っているようにバーンスタインは指揮者としての手本となっていて、その点でもこれはこの指揮者の知的な芸術活動に期待するところでもあるのだ ― 至らないまでもその活動は北アメリカからの一つの指標とはなるのではなかろうか。

休憩後の二曲目は新曲のオルガン協奏曲だったが、これはフィルハーモニーのオルガンも聞けて良かった。そして管が各々にそこに絡む訳であるから、もう一つのプログラム曲「ドンファン」よりも管弦楽団のショーウィンドーとして熟慮されている。編成も大きく、その管の繋がりだけで一聴に値した。またオルガンのポール・ヤコブのペダルテクニックも見ものだった。

さて愈々三曲目のシューマンの交響曲四番であるが、そのままの大編成で、既に書いたようにプリンシパルの奏者などが出て来るのだから、そのサウンド自体にも初めから期待させた。放送であったように大編成でありながら室内楽的なアンサムブルを目指していて、管と弦もとてもよくコントロールされている。まさしく指揮者の腕なのだが、それは上のザヴァリッシュ指揮の録音で全く出来ていないことが可能となっている面で ― メゾフォルテと呼ばれたその指揮者でもとどのつまりカラヤン世代であることを思い起こさせるに十分な脂ぎったサウンドで嫌気がさす。ムーティの方が遥かにおしゃれだろう、しかし日曜日に放送されたラヴェル編曲「展覧会の絵」をネゼサガン指揮で聞くと、現在シカゴとフィラデルフィアではどちらが音楽的に機能的かは明白で、シカゴが苦戦している ― だからキリル・ペトレンコを尊重したのだが、フルトヴェングラーと同じようにベルリンには負けたのである。同時に終楽章では編成に見合うだけに十分なダイナミックスを準備しているのだから、シューマンの交響曲らしからぬ熱さもある。それでも例えばロスフィルのような金管が響く訳ではなく、なるほど欧州の趣味ではそれほど熱い支持は得られないかもしれないが、十分に会場は湧いた。勿論シューマン解釈へである以上に管弦楽への絶賛がその拍手にもよく表れていた。その意味ではより洗練されたクリーヴランドよりは湧きやすいかもしれない。

それに関してはやはりフィラデルフィアからのネット中継の効果が大きく、少なくとも奏者の名前や膨大な量の情報がフランコフォーネの指揮者や演奏者の口から齎される威力は、それが英語であることを含めてとんでもない広報効果となっている。ルクセムブルクに集まった何人がその放送を聞いているかは分らないが、遠来の客にしては身近に感じさせる効果が大きい。つまり演奏会などの催しにしても、こうした双方向のコミュニケーションがインターアクティヴな新たな形で生じる可能性は、まさしくベルリンでツェッチマン支配人などが行おうとしていることなのだ。

幾らかそれに関連して独仏文化TV局ARTEが正式なアンケートをネットで取っていたので返答した。質問項目以外に、「あなたが局長になったら」という問いに、「独仏国境領域での更なるダイレクト中継、最後ではなくてバーデンバーデンの祝祭劇場から、例えば復活祭」と書いたので、局がベルリンのフィルハーモニカーのメディアパートナーになって今後の具体策を出すときの後押しになると思う。兎に角なんでも機会があれば少しの時間を割いてでも意思の表明をしておかないと始まらない。インターアクティヴの形は数があり、文化におけるそれはまだこれからより具体的な成果になってくると思われる。(終わり)
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参照:
荒野に生えた葡萄 2005-04-29 | 歴史・時事


by pfaelzerwein | 2018-05-28 19:05 | 文化一般 | Trackback
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