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「プロシア的」の情けなさ

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週末は木曜日の初日へ向けての準備である。色々と調べた結果やはりベルリンのフィルハーモニーでの「パルシファル」を批判してしまわないとならないようだ。メトでの演奏は既に批判したので繰り返す必要もない。なるほど演奏会での演奏はバランスが悪いが、管弦楽演奏上の問題点はハッキリする。それほどラトルの指揮がこの曲には向いていると感じたからだ。

それに比較するまでもなくマーラーの六番はやはり駄目だった。そもそもマーラーにおけるテムポ変化などのアゴーギクの細かさは、ご本人の関心とは別にサイモン・ラトルのブルックナーほどには向かない。最終公演二日目のデジタルコンサートも観たが、ラトル指揮フィルハーモニカーの全てを曝け出した演奏だった。メスト指揮クリーヴランド管弦楽団との比較で、合奏が合うとか合わないとか上手いとか下手とかの問題ではなくて、音楽的に勝負にならなかった。後者があまりにも精細に演奏していてメストの演奏解釈があそこまで今日的なマーラー解釈になっているとは想定外のことだったが、そもそも譜読みの精度が大分違う。

ラトル指揮では複雑な個所になるとた横に流すだけの演奏しか出来ていない。記憶からするとフィラデルフィア管弦楽団を振っていたMeTooのレヴァイン指揮などと同じでしっかりと各声部各音符の音化が出来ていない。多声的とその音楽構造とはまた違うのだ。恐らくラトルが客演でクリーヴランドをフィラデルフィアを振ってもそれほど変わらないと思う。つまり一つ一つの動機などの表情付けがそこではなされていなくて、選抜された箇所のみをプローベで表情づけしているという感じで、そもそもその精度が全く異なる。あの年代はあれで通っていたのだ。それがクリーヴランドの管弦楽団の特徴などではないことは過去のアーカイヴで流されるセル指揮のその楽団の音楽性を現在のそれと比較すれば分ることで、そもそも駄目なリズムとかだけではないところでの多声部での表情付けの細やかさはセル時代には求められていなかったものである。

少なくともマーラーのような大編成でのその細やかなそれは嘗て無かったもので、ベルリンでのそれを容易に切って捨てれない理由でもある。少なくともヤナーチェック「女狐」でのその音楽的な実力差は、ベルリンの方が曲に慣れていなかったからのディスアドヴァンテージだと思っていたが、マーラーでは指揮者も含めてクリーヴランドにそれほどアドヴァンテージは無かっただろう。

二日目の映像を観ていて気が付いたのは半数ぐらいはラトル時代の最初から在籍していた人で、可成り年配も多くアバド時代の人が多そうだったことだ。コンツェルトマイスターのスタブラーヴァはクスマウル以降で最もソロを聞きたい人であるが、どうして、徹底できていないのだろう。その中の半分ぐらいは定年も近いようなのでペトレンコ時代にはどんどん変わっていくと思われるが、想定以上に悪かったのは管楽器で、半数ぐらいは変わらないと厳しいと思った。特に木管でこの人というのは限られていて、アメリカのそれと容易には比較したくはないのだが下手である。

駄目な人は直についていけなくなると思うが、そうした競争のシステムとはまた異なるところで「プロシアの管弦楽だ」とか豪語している楽員を見ると、矯正のしようがないと思った。宜しい、その秩序だった文化を指すならば、当然なのだが、そもそも英語でインタヴューに答えるソリストなんて採るぐらいならば、もう少し音質的にも「プロシア的」を徹底しろと言いたい。なにかフィルハーモニカーのプロシアと言うのは肯定的には受け取れない。要するに、芸術的なローカリズムや伝統とは違って、感覚的に田舎臭いだけなのである。

エルブフィルハーモニーのサイトを見ると一日経過しても、ペトレンコ指揮のユーゲント楽団だけでなく、ネゼ・セガン指揮ベルリナーフィルハーモニカーの券が残っていた。つまりそろそろ皆が押し寄せる状況が終わって、一段落して来てぼちぼち正常化だろうか。そもそも早々に売れ切れていた世界の管弦楽団シリーズはやくざな主催者のもので入場料金も高いが、ベルリンのそれは良心的な主催者で価格も微妙だった。最低席の15ユーロとか50ユーロとかはお得で、最高額も190ユーロだから、ハムブルクからならばベルリンへと行くのとの天秤が掛けられることになる。私個人からすればハムブルクはベルリンより近いが、フィラデルフィアでなくベルリンからの管弦楽団のために旅行するには遠過ぎる。そもそも録音で聞く限り、評判ほどに若しくはテルアヴィヴほどにはエルブフィルハーモニーは音響が良くないと感じている。恐らく音響修正が必要だろう。



参照:
叶わなかった十八番 2018-06-21 | 文化一般
これからの大きな期待 2018-06-20 | マスメディア批評


by pfaelzerwein | 2018-06-23 20:12 | 文化一般 | Trackback
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