写真を撮り撮られする

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写真を取られた。眠かったので赤いフラッシュから目を避けた。ミュンヘンからの帰路恐らく時速100㎞制限のところを120㎞を出していた。上手く行けば誤差男3%を含んで超過20㎞以内に収まって35ユーロで片が付く。丁度眠気が来たところで写真を取られて目が醒めた。35で収まれば眠気醒ましのアトラクションだが、時速20㎞以上追加となれば75ユーロと点数一点限定だ。速免停とは違うが、点数が消えないらしい。これは痛い。制限が時速80㎞なら駄目だが、ランダウのトンネル前でそれはなかった筈だ。固定カメラではなかったと思う。まあ様子を見るしかない。請求書だけならそれで終わりだ。宿泊代よりは安い。

しかしそれ以外はなにも噛む上手く行ったのだった。帰路も初めて完璧に最短コースを取れた。劇場からリンクに入って、左折してピナコテークモデルンの前を通ってブリエンナーシュトラーセに入る。ここで直進してしまうと中央駅前のカ-ルスプラッツに出てしまうのだ。つまり往路の最短コースへはなかなか戻れなくなる。二つのサークルを超えて、これまたダッハウアーシュトラーセに戻らなければいけないのだが、いつもニムフェンブルクを目指してしまう。レーヴェンブロイの角を右折して、室内劇場などを通過してアウトバーンの指図通りに行くと北環状へ、BMWの方に流される。それを我慢して走る続けて、数キロ行って左に西墓地を掠めて左折するとヴィントリッヒリングだ。ここまでいけば、メンツィンガーシュトラーセが二つ目の交差点で、これを右折するとアウトバーン八号線である。行きはよいよい帰りは恐いのルート取りなのだ。一番の問題は環境を考えて街中を出来るだけ通さないような道案内になっているからだろう。やっと地元民のように分かった。昔は北へ流すアクセス道路が完備していなかったので、これが最速最短だったのだ。今でも間違いなく最短である。

結局休み休みで、トイレも休憩所で無料で済ませ、ミュンヘンには16時過ぎに着いた ― 途中で三個のブロッツェンサンドを平らげた。途中にわか雨もあったが、予想以上に火が出て気温は上昇した。28度を超えていた。遅めに街に入ったので、17時に車庫入れするようにゆっくり走ったが、劇場前広場には八分ほど前に着いた。しかし幸運にも並んでいて、入車したのは17時3分だった。万時上手く運んだ。実際駐車料金は14ユーロ50しか掛からなかった。それからダルマイールに出かけて、小型トルテ三個とフィレパイとテリーヌを購入した。全部で30ユーロを超えた。今回は軽食を摂らないので仕方がない。それでもサンドイッチのために肉屋で購入したハム類と帰路のサラミで10ユーロを超えたのでどこも安くは無い。ダルマイールの価格はとても良心的な証明である。先ずは先日カフェーで試したヨーグルトのものは自宅で食す。上に乗っているベリー類が下に落ちていた。他のものはどうだろうか?

公演の詳細は先ずはメモを整理しないと駄目だが、初めてのミュンヘンのロージュについて少し触れておこう。結論からするとこのサイドのロージュでこれ以上は無い思いをさせて貰った。もう一つ下ならばさえらに良いだろうが、なかなか手に入らないと思う。舞台への視角は上が切れていて、制限が多い、だから普通のオペラ愛好家には勧められない。王のロージェやバルコンの方がいいだろう。それでも私などは99%指揮者と管弦楽を眺めていたので、どうでもよい。例えばお目当ての歌手も前に出てくれば身近で聴けて、距離が近ければ角度などあまり関係ない。寧ろ上からだと演技に影響されないで冷静に聴ける。しかし何といっても指揮者からのキュートその音の響くタイミングが、歌手と舞台裏など様々で、それに合わせて指揮するのを観ていて驚愕以外のなにものでもなかった。管弦楽が声に合わせる座付きであることだけでは埋め合わせられないものからすると、コンサート指揮者の容易さは想像可能なもので、それでも合わせられないコンサート指揮者などお話しにならないと思う。要するに再度のロージュでの経験は玄人向きのもので、如何にパフォーマンスをお客さんに届けるかという送り出し側の感覚が無いことには全く楽しめないと思う。

それでも今回の演目が「パルシファル」など鳴らす音楽でなくてよかった。あれで完全に鳴らされるとやはり指揮台での音の聞き分けが出来るぐらいでないと、中々音響の渦の中で判断が付かないだろうと思う。真上なので完全に鳴り切る。やはり距離感の問題だと思う。近づくほど直接音、離れるほど間接音が多くなるかけだが、遠いのもこれまた聞き取るのに経験や見識が必要だが、あまり近過ぎても中々その混ざった音は理解出来ないと思う。その意味では私のところでは音響的に舞台と奈落の音が会場の遠くでどのように響いていたのかは想像するしかない。だから演奏者と同じぐらい会場の湧き方に耳を傾けた。

上演とは関係ないがロージェに控室が付いているのは知らなかった。つまりガルデローベも付いていて、皆と同じように預けないでもそこに置けることも知らなかった。古い劇場はどこも同じようなものなのかもしれないが、ロージェなどそこを使う必要性も無かったので知らなかったのだ。しかし、ここのサイドだけは意味が違った。王のロージェはなにか特別な機会が合ったらとは思うが、それほど座ってみたいとは思わない。しかしここは機会があればまた使いたいと思った。少なくとも奈落の現場などの関係者にはとても価値があるだろう。舞台に関してはもう一つ下でないと駄目だろう。隣に居た夫婦はいつもは最前列だというが、ここから見ていると、舞台に興味ある人には最高かもしれないが、音楽に関してはやはり比較にならないと思う。椅子を使わない指揮者の指揮はよく見えるかもしれないが、肝心なのはその指揮と歌手だけでなく管弦楽との関係でもあるので、片手落ちとなるだろう。それから今度の舞台はプロンプターの奥の縁で切られていた。あれは例えばヤホなどが縁でバランスをするときの安全性とその効果でもあるだろうが、少なくとも三メートル以上奥で歌わしていることになる。最前列に座っていても、管弦楽団の助けを受けずに花などは舞台に投げられない距離であったことを確認した。

歌手の視線は演出にもよるだろうが、下手側には引かれていたので、そちらからは得られただろう。しかし要は一番下の背後にあるモニターへの視線で、演出に制限を受けずに、指揮者と違う方向を見ていて拍子を外さない配慮が行き届いていた。



参照:
プロシェニウムロージェ 2018-06-09 | 文化一般



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by pfaelzerwein | 2018-07-15 22:53 | 文化一般 | Trackback
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