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流石の配券状況

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予定外であった楽劇「ジークフリート」訪問の準備をする。冬場にお勉強した筈なのに、一幕だけでも手が追えないほどとんでもなく音符の数が多い。三場はまだ流れるだけだからよいのだが、一場、二場で発狂しそうになる。こんなものたとえ和声的な流れを枠組みにして見て行っても、一つ一つの音符を確認するだけでも目が疲れるだけだ。例えばクラリネット等に現われる回転音などは特徴的としてもその他の可成りの入り組み方は器楽曲並みで、なるほど七番交響曲を想起したのはリズムだけではなかった。鍛冶場のシーンは明らかにブルックナーがその後に交響曲で使ったのだろうが、あの音響は鍛冶場とは似ても似つかぬ蒸気機関工場のサイクル音で、彼のシェローの演出には当然で驚かないが、寧ろ楽匠が鍛冶屋とするところがとても捻った表現だ。クリーゲンブルクの演出は人海合戦だったが、明らかにポストモダーンの外し方だったように記憶している。

残された時間で一体どれだけ私の頭に入るのだろうか?この幕だけでも管弦楽団にとってはとんでもない課題だ。よくも楽匠がこんな楽譜を書いたとも思うが、だから専門の交響楽団が組織されてきたのもよく分かる。フェスティヴァル中の凌ぎの仕事では到底無理だから、トップメムバーを揃えて来ているのだろうか?

秋の記念公演楽劇「マイスタージンガー」の売券の様子を見た。最初から殆ど残っていたようだ。つまり、前予約発売分が出ただけでその他の定期や友の会以外は殆ど自由販売された様子だ。だから一晩あたり千枚ほどのチケットが発売されたようだ。私は少し遅れて入ったのでウェイティングナムバーは千を超えていた。それでも比較的早く入場したので残席を見たら、やはり私が望んだような席は殆ど無かった。多くの人が既に観戦していて、その経験からそれなりの希望を以って購入したと思う。

その証拠に広報部長の呟きには、前夜の「ラインの黄金」終演後から並び始めた人も数人写っていて、土曜日の朝には雨の中を数十人が並んでいた。如何に自身の予算の中からいい席を得た以下の希望が強かったのではなかろうか。既に三回目の上演は高価な上二クラスと立ち見のような席しか残っていない。やはり事情通の買い方が目に付く。私も予算の上限を設けなかったのはそこが大きく、前回と比較できる程度の席は要らなかったのだ。要するに観たい聴きたいの具体的な狙いがあるのだ。皆も大体同じような感じがする。その意味から、あのタッパの高い舞台はあまり近くでは広角に観れなくてちょっと辛い。それでも出来るだけ近接で舞台を観たいという希望は多かったと思う。私の場合は向こうの裁量でその願いが叶う様な配券をして貰った。配券する人の経験から来るだろう席の選び方は、こちらの購入経歴を鑑みて、流石としか言いようがない。



参照:
ごついのはこれからじゃ 2018-02-06 | 文化一般
再びマイスタージンガー 2018-06-22 | 生活
再びあの座席の幸福 2018-07-20 | 生活


by pfaelzerwein | 2018-07-23 03:56 | 雑感 | Trackback
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