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杖の無い爺に導かれる

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水曜日の準備である。先ずはダウンロードしたモーツァルトのK.482を開いて、あれっと思った。そして、適当な音源としてブレンデル演奏の古い録音の方を流した。なにか不思議な感じがする。伴奏のマリナー指揮の幾らかのいい加減さに違和感があるのではなくピアノにも違和感がある。そして気が付いた。二年前に内田光子の演奏でバーデンバーデンで聞いたものだ。勿論伴奏はサイモン・ラトル指揮のベルリナーフィルハーモニカーだった。違和感は、楽譜面に覚えが無いことと、その演奏の両方だった。つまり二年前に楽譜を見ないで若しくは頭に入らずに出かけていたことになる。そう言えば後半の初めての第九交響曲の楽譜面もあまり記憶に無い。いい加減にしか聞いていなかったことになるが、内田光子の方が少なくともこの曲に関してブレンデルよりも良いと気が付いたのは今回が初めてだ。そして水曜日にはブレンデルのお弟子さんと言われる若手がピアノを受け持つ。それにしてもこの曲は思っていたよりも出来が良さそうで、ハイティンクの指揮が一寸心配になる。

同じように心配になる指揮者ブロムシュテットのコンサートも予定が分らなかったので購入していなかったが、決断した。まさか三回も出かける指揮者とは思っていなかったのだが、抗し難かった。先週のインタヴュー記事によると、再びトスカニーニとフルトヴェングラーを並べて、そこにお手本となるブルーノ・ヴァルターについて語っている。その理由は、双方と同じぐらいに良い指揮者で尚且つ自己抑制の出来る人物となる。爺に言わせると、なにもバーンスタインを挙げるまでも無く音楽家などは作曲家でも自己抑制が効かない人物が多いが、その中でヴァルターにはそれが可能で、それでこそ管弦楽団を指揮できるのだという。まさしくマネージメント能力である。逆が真かどうかは敢えてここでは問わない。 

もう一つ、今回のツアーの目玉である作曲家ベルヴァルトについて語っている。ドイツ系の音楽家系でありながら直接の影響をメンデルスゾーンからもシューマンから受けていないという。アイヴスのように独自の語法を持ったアマチュア―作曲家で、所有する木挽水車やガラス工場で生計を立てていて、ベルリンでは整体の研究所を作って、今でもその一部の技術は使われているらしい。だからベルリンでの未知の作曲家の演奏会では地元民が驚いたようだが、2000年まで所属していたゲヴァントハウスの楽員がこの家系の人だったようだ。

更に初耳は、ブロムシュテットと同国人のイングマール・ベルイマンとの一寸した関係で、リハーサルに楽譜を持って来ていたのがベルイマン監督だったようだ。特に映画愛好家ではないらしいが、その細やかな精神生活の描写の一寸したニュアンスに傷心を感じ、お気に入りのようだ。当然のことながらそこに共通する北欧プロテスタンティズムの心情を我々は感じる。そういう音楽なら聞きたいなと思うが、さてどうだろうか。

私自身、ベルイマンやその心情などを思う事があっても、どこかでイライラしてしまう。爺に言わせると自己抑制がならない人間となり、まさしく人種が違うのだ。それ故に余計にこうしたことが語られるととても気になる。特にヴァルターの音楽に関してはそのヒューマニズムが話題にはなっても、自己抑制というのは考えたことも無かった。なるほど、そうした抑制があってこその持ち味なのだろう。それにしてもあのほとんど日が射さないようなところで農業などをしている人はそれぐらいの抑制が無いと暮らしていけないに違いない。ブロムシュテットは殆ど禅坊主のようにしか思えないが、なるほどその禁欲的な生活は自己抑制の延長線上にしかないのだと思うようになってきた。

それにしてもインタヴューアに、「毎年付き合いのある12までの管弦楽団を指揮して回るだけで、更に増やすことは不可能」と答えるこの老人は昨年より益々元気そうで、最早呆れるしかない。それにしてもこの爺は、モーゼの杖が無くても、人を導くだけの力のある人だと思った。そしてバーデンバーデンへと導かれる。元々日程的に厳しいと思っていた訳だが、何とかなると思って、寄付ぐらいのつもりで22ユーロの席を購入した ― 本音は直前になって安い席が発売中止になると手が出なくなることを恐れた。楽友協会での二日目のマティネーはラディオ中継がある。その後ツアーに出て、ベルギー、ルクセムブルクを回ってバーデンバーデンだ。小さなツアーと本人が言う通り、彼にとって何でもないことは最早こちらが分っている。問題は、気力が続くか、私の方である。



参照:
一先ず清濁併せ呑もう  2018-09-17 | 音
少しだけでも良い明日に! 2018-09-16 | 文化一般


by pfaelzerwein | 2018-09-17 23:25 | 文化一般 | Trackback
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