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無色透明な音の世界

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床屋にやり手婆しかいなかった。入ったのも遅かったが、男女一人づつを相手していた。初めは待っているといったが、お気に入りの髪結いさんも誰も居らず、これは退去した方がよいと思った。待ち時間よりも同じ金を出すなら上手い人にやってもらいたい。来週来るわと言ったら、午前中ならまだ誰かいるからと言っていた。やはり暇な時にお暇を出したのだろうか。朝一番で行くしかない。

床屋となると年末年始だけでなく一月のチューリッヒ訪問辺りまでを計算に入れる。どの時点で散髪して次はどの時点かなど可能な限り計画を立てておく。つまり暖かくなった今行くと混んでいる年末には行かずに、年始の床屋の休み明けまで伸ばし続ける。遅くとも一月月末に間に合えばよい。前回はバリカンで大分駆られたので、それほど今も煩わしくないのだ。流石に冬場はバリカンでの剃り上げは嫌である。

思い立って、GPS腕時計の電池を交換した、入手したのは夏前だったので、大分長く放ったらかしていた。半田付けが面倒なのと、裏蓋のパッキングを綺麗に収めるのが厄介だからだ。細かな仕事でも一時間も掛からなかったと思う。最後に苦労したのは外のターミナルと内側のところの合わせが上手くいかずに再び蓋を開けてやり直しする必要があった点だ。それでもGPSの一時間の狂いも夏時間を手動で合わせていたからであり、GPSだけでは正しい時差を調整出来ないことが分かった。要するに車のGPSの狂いもどうもその辺にあるようで、やはりナヴィのソフトが壊れているようだ。無事完動するようになったが、予想していた電池の残り時間が10時間しか出ない。オリジナルは11時間だった。仮に入れていた小さな電池は10時間だった。しかし今度はその容量の表記からすると12時間30分と出る筈だった。なぜ正確に反映しないのか。一つは電池の表示とその能力が著しく異なる場合、もしくは最初の充電では二割以上少なくしか充電できていない可能性だろうか。後者を期待しているが暫く使ってみないと結果は分からない。

N饗の生中継を聞いた。ノセダという指揮者が振っていて、2021年から現監督ルイージを継いでチューリッヒの監督になるようなので名前は知っている。しかし、放送を聞く限りあまり感心しなかった。客演の程度だから仕方がないのかもしれないが、もう少し技能が高くてもよいと思う。しかしこうして色々な指揮者でN饗演奏会を聞くと、何よりも感じるのはあの会場が形成したアンサムブルからのサウンドの貧弱さを感じずにはいられないことだ。あの会場の録音の影響かと思って、昨年のペトレンコ指揮の座付管弦楽団の録音を聞き比べると、その真相が分かる。アンサムブルに起因するものは致命的で一朝一夜ではどうしようもないが、それに合わせるようにソロ楽器の響きも独特な艶消しなサウンドに統一されている。比較対象が座付管弦楽団だから木管も若干個性が強いが、金管でもその鳴りの差は大きい。

偶々週末に東京の管弦楽団で演奏していた人に会うのだが、昔から同じことが語られていて、今こうして直接比較して聞くようになると、その落差は殆ど埋まっていないのを感じる。どうしてもその話に言及してしまうのは仕方がないだろう。それはドイツ風とかフランス風とかアメリカ風とかというのとはまた違う次元であり、日本の聴衆は見ざる聞かざる物言わずに徹しているのだろう。さもなければやはりああした無味乾燥な響きが素晴らしいと思う独特の趣味があるのだろう - 風の音も水音も無色透明だ。要するに反響がない、音が共鳴しない、つまり西洋近代音楽的には音色の無いモノトーンな音の世界である。その対極にヴィーン風なものへの憧れが存在しているとすると文化的な響きへの錯覚も可成り重症である。その点ではボストン饗は、欧州から見るとあまり関心はしないが、独自の伝統的なサウンドを有している。

生演奏は映像収録もされているというからにはマイクロフォンもしっかりと設置されていた筈だがあまりにもお粗末だった。ピアノの響きも取り立てて言うほどのものではなく、一体これは東京では交響楽団ごっこをやっているとしか思えなくなってきた。なるほどこうした客演指揮者が振るよりもブロムシュテットなどが振って音が出てくる方が受けがいいのは理解できた。



参照:
批判精神無しに育たない 2018-10-20 | 文化一般
音響の文化的な価値 2018-10-14 | 音



by pfaelzerwein | 2018-11-10 05:28 | | Trackback
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