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敵はバイロイトにあり

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日曜日のフィラデルフィアからの放送は価値があった。いくつも語ることがあるが、先ず一曲目のベルヴァルト作曲交響曲三番ハ長調が素晴らしかった。九月にヴィーナーフィルハーモニカーで聞いたので比較すると、たとえ指揮者がブロムシュッテットのようなスペシャリストであっても、今回のネゼセガン指揮の演奏とは比較にならない演奏だった。つまり今回のようにこの曲の本質的な牧歌的でそのスカンディナヴィアの風景が心象風景としても浮かび上がる演奏はなかなかないと思う。

この曲の面白さは、バーデンバーデンでのガイダンスでもあったがその音による遠近感や、静けさと唐突な落雷のような音が醸し出す寂寥感であり、ブルックナーの交響曲には無い産業革命以前の素朴さである。考えれば当然のことで、ドイツにもいた作曲家にとればその文明的に遅れた故郷の心象風景でもある。なるほど独襖系のロマンティシズムとしての自然賛歌はそこに含まれるかもしれないが、ブルックナーのいた世界は蒸気機関の産業革命の真っ只中の世界であり、北欧のような素朴さは存在しなかった。ブルックナーにおけるカトリック的な神秘主義がややもすると誤解され理解されていない嫌いがあるものの彼が生活していたのはビーダーマイヤーのとても工業化された世界だった。

ザルツブルクの人事での続報が出てきた。南ドイツ新聞だ。そこでは、この月曜日にザルツブルク州知事の話として、「力を合わせてやり抜きましょう」とティーレマンが州の決定に承諾して語ったとされる。しかしこの言及には他の情報源はないとしている。

ここから知れるのは、ザルツブルク復活祭芸術監督クリスティアン・ティーレマンは現時点では辞表を出していないということだ。思う壺である。この時点での辞表は誰も想定していない。ここからはゲームと同じで、敗北と後手に回った状態が続く。もし想定外に彼が男らしく辞任を発表していたら状況は違って来ただろう。

既に八月にはティーレマン本人がバッハラーに充てた書面で「このような協調作業に欠くことのできない信頼関係がない」と書き送っているようだ。だからそうした感触を固めていたとしている。しかし一体この情報はどこの誰から流れてきたのだ?一方バッハラーも今回の件に関して一切コメントを出していない。

ここから想像するように、全ては仕組まれているようで、勿論ティーレマン本人も弁護士と相談のうえで対処している筈である。しかし、最初のチャンスで、夏以降表明していたように「やつか俺か」の判断を求めて、こうした結果が出た以上は、即辞任を表明しない限りこの敗北をどこまでも引きずる。こうなった以上復活祭やドレスデンを捨てて、バイロイトの護りを固める決断へと至らなかったことで、とことん波及することになるだろう。

なるほど、実際に2020年を迎えてからでもバッハラーとの権力闘争で勝てると思っているのかもしれない。ドレスデンではドルニーに勝利したが、ドレスデン州は裁判でドルニーに敗北した。ザルツブルクでも勝てると見たのかもしれない。思う壺だ。

一連の報道や動きを見ていれば、今までのような子供の力試しでは到底敵わない様な動きがあり、既にカラヤン財団や未亡人などがその矛先に立たされているので、ティーレマン如きの力ではどこまでも追いつめられる。未だに音楽界情報誌NMZが「ティーレマンxシュターツカペレとペトレンコxベルリナーフィルハーモニカーの入れ替え」に言及しているが、浅墓な記事である。否、ティーレマンを上手く誘導しているかもしれない。この説の大きな間違えは、ティーレマンが信頼する現バーデンバーデン支配人は来年以降経営補佐だけになり、そもそも新支配人のプロジェクトにはなりえない。何よりも高価なベルリナーフィルハーモニカーをもはやザルツブルクの祝祭規模では賄えなくなっている、それが大きな移転の理由であった。それはザルツブルク側も認めていて、精々ホテル業者ぐらいが関心を持っているだけとなる。

実際、シュターツカペレドレスデンのブルックナーなどの演奏会は売れないことが分かっているので大ホールが使えなくなっていて、千数百人規模の中ホール規模で漸くである。経済価値はベルリナーフィルハーモニカーの半分以下で、ペトレンコ時代となると数分の一以下にも至らないと思う。一体誰が数分の一以下の価値と取り換えるものか。しかしこのようなことは分かっていないのではなく現実を冷静に見極める頭脳があるようならば我々の知っているティーレマンではなくなる。

このような時点になれば誰も先には動かない。粛々と敗者の自爆を待つだけだ。その頃には死守しなければいけなかったバイロイトの足場が無くなっているかもしれない。いよいよティーレマンが東京行きを決断するときだろう。それでもN饗ではもはや仕事がないだろうから、劇場の次期全権監督を目指すのみだ。

バイエルン州は、半神であるキリル・ペトレンコがベルリンに行きそのオペラはバーデンバーデンへと喪失となれば、州文化政策の落ち度とみられる。与党CSUとしてはチェルビダッケの時と同じようにペトレンコを何とかバイエルン州で保護したい。だからバッハラーがカタリーナ・ヴァークナーを継ぐ話が出てきていたのだ。文化省で本気で話されているに違いない。お膳立ては整っている。反対派であったニケ・ヴァークナー博士が裁判で敗れたように、市や州の決定事項がヴァークナー家の資産としての権益を上回った。つまりカタリーナがそこに居座るには公の支持が必至となった。経済的、芸術的に落ち度が重なると更迭される。初代音楽監督であるティーレマンの権勢が無くなればもう一人では現在の地位を保てない。既に足元が揺らいでいる。州の最終目標はキリル・ペトレンコがバイロイトに毎年戻ってくることでしかない。



参照:
至宝維納舞踏管弦楽 2018-09-29 | 音
新支配人選出の政治 2018-11-13 | マスメディア批評
オペラとはこうしたもの 2018-11-12 | 文化一般


by pfaelzerwein | 2018-11-13 23:51 | 文化一般 | Trackback
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