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客家入りの喉飴

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一昨晩の就寝前から喉がガラガラした。嗽などをしたのだが、翌日は終日調子が悪かった。天候も悪かったので走ることもしなかったが、週末に雨に濡れたのが悪かったのか。必要な時に強力なのど飴がなく緩め甘めのものしか購入していなかった。仕方がないのでパン屋で客家入りを購入しようとしたら、各々取っていくといっていた。インフルエンザではなさそうだったが売り子さんも喉を鳴らしていた。

体調は前日よりは良かったので沢コースを往復した。途中で親仁三人組を抜こうとすると一人が振り返って顔を見て「サラブレットが抜いていくから」といった。少なくともそのように聞いたので、「ロバじゃないですかね」と自虐的に答えようかと思ったぐらいだ。折り返し点から戻って再び追い抜いて声を交わした。大したことはないのだが高級住宅街の上の散歩道でもその三人に近いような、丁度小津安二郎の映画に出てくる大会社の重役や大学教授のような風情の人はあまり見かけない。聞こえる喋り口も社会のエリート層だった。

先週あたりにも話すことがあったのだが、日本もまだ高度成長時ぐらいまではそうした小市民的で尚且つよりよい明日への模範となるようなものが少なくとも描かれていたのだが、そうした希望とか向上心とか描きがたい社会になっているのは間違いない。当然のことながら60年代の転向とその後のぶり返しがあったとしても、教養などはあまりにも軽視されていった歴史がある。

また新しい記事が出た。ベルリンのデアターゲスシュピーゲルは、バッハラーがザルツブルクの地方議員に「ベルリナーフィルハーモニカーを戻す」と誓ったというのは噂に過ぎないと書いている。つまり取材出来なかったということだ。勿論、バッハラーがまるでキリル・ペトレンコやベルリナーフィルハーモニカーを思いのままに操れるような言及なので殆ど意味はない。そもそもベルリンの支配人であるツェッチマン女史を普段から取材していないことがまる分かりだ。この手のジャーナリズムは、音楽ジャーナリズムでも無く芸能ジャーナリズムでも無いといういい加減なものが存在するのかもしれない。

ベルリナーフィルハーモニカーが参加する2020年のマーラーフェストでの交響曲4番と6番のプログラムが発表になったことから、また2019年の日本旅行はメータ指揮になったという前提で想像を飛翔させる。つまり11月にはフィルハーモニカーは居ないので、その間にミュンヘンの新制作が準備されるとなる。その前に恐らくその前にオープニングに続いて9月末か10月初めに二つ目のコンサートの指揮をする。その後はジルフェスタ―しか振る時間はないだろう。ここまでで三つのプログラムとなる。

年明けてから4月12日の復活祭までに三つのプログラムを指揮して、5月初めにもう一つのプログラムとなるだろう。最後の一つがマーラーの4番とリュッケルトとなるのか、6番となるかだ。復活祭の時期柄を考えると前者になるか。すると、オペラに加えて、第九とマーラー四番ぐらいだろうか?ジルフェスタ―に続けて第八も期待していたが、マーラーの二つに加えて三つめのプログラムは多過ぎる。

兎に角、復活祭前にベルリンでコンツェルタンテで練習してきてほしい。6番は5月初めにベルリンで初日、アムステルダムで演奏する。そうなると、しかしその後のオープニングツアーは4番の方が都合がよい。6月7月はミュンヘンでの新制作二つ目だ。再演があるとすればどうなるのか?バーデンバーデンでの演目とも影響するだろうか。



参照:
光を有効に使う方法 2015-12-13 | 生活

by pfaelzerwein | 2018-11-15 21:21 | 雑感 | Trackback
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