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生誕250周年への準備

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徐々に来年のお出かけの日程が決まりつつある。一月初旬のエルブフィルハーモニーに続いて、チューリッヒ、そしてミュンヘン、もう一度チューリッヒ、またミュンヘンとなる。かなりの走行距離になりそうだ。一番期待しているのはミュンヘンのミサソレムニスである。座付楽団のアカデミーコンサートは日本からの凱旋公演で初めて出かけたが、あまり満足できなかった。ツアーなどに比べて弾きこまれていないのはブラームスの交響曲4番で明らかだった。そもそも期待の一曲目のマーラーの歌曲のゲルネの歌唱が不満だった。来月冒頭のヴィーナーフィルハーモニカーはもう少しは上手く演奏するかもしれない。しかし今回は主役が合唱団であり、歌手陣がそのままローマでの第九と新シーズンオープニングツアーとも重なる。先ずはマルリス・ペーターセンの歌も注目したい。

しかしあくまでも主役は合唱団である。キリル・ペトレンコ本人の言葉を待つまでもなく、この合唱団がペトレンコ時代の可成り大きな意味を持つのは当然で、今回の「オテロ」、「タンホイザー」、「マイスタージンガー」と音楽的に重要な役目を果たしている。日本公演でも批判されていたように現代の室内合唱団のような性格である筈はないのだが、バイロイトやヴィーンのそれと比較して独自の個性が拓かれてきたのは管弦楽団の場合とよく似ている。合唱指揮者の仕事が大きいのだが、やはり舞台の上での芝居を含めた歌劇合唱団としての評価をしたい。今回は芝居は無い訳だが、とても良い歌を披露してくれるのではないかと大変期待している。第九は誰が歌ってもよいが「ミサソレムニス」は合唱団を選ぶと思う。将来ペトレンコがこの曲を指揮するときにどれだけ他に理想的な合唱団が存在するだろうかと考えると、意外に見つからない。

ベートーヴェン続きで、オールスターキャストの「フィデリオ」だ。既に二枚は確保したが、まだ日程がはっきりしない。もともとは最終日に焦点を合わせていたのだが、籤運悪く、ネット買いとなった。初日の待ち番号はなんと30番台を貰ったが、結局その座席は時間切れで買えなかった。あまりいい席ではなく、タブレット操作でログインに失敗したからだ。結局もう一つの待ち番号400番台で視界制限のある立ち見席を18ユーロで購入した。108ユーロよりも遥かにCPが優れていた。

ここから証明したのは、二時間前にネットに入ろうが、二十分前でも待ち番号とは関係ないという、ランダム選択がグループ別け無しに機能しているということであり、まことにフェアーなシステムになっている。このことを証明したのがこの日の大成果だった。二日目の席は、待ち番号220番台と500番台で、前者で適当なところで押さえておいたが、これもあまり良い席ではなかった。最終日によほど良いものが入れば購入するが、その場合待ち番号で50番以内は欲しい。

恐らく皆同じような行動をしているらしく、カウフマンファンなどのファン層は初日で勝負を掛けてきていている。そして我々のような音楽ファンは何よりもクラスSという価格付けがとても気になっている。要するに特定のファン層は高価な席から購入するが、音楽ファンは安い席から漁っていくことになる。

しかし私にとっての覚醒はそこではない。第九、ミサソレムニス、「フィデリオ」と来れば、250周年にミュンヘンでは「フィデリオ」新演出がないことが分かる。それならば2020年バーデン・バーデンは「フィデリオ」で決まりだと思う。今までなぜ気が付かなかったのだろう?やはりどうみても冴えない演出で、ガッティが態々ナガノに代わって振っていたようで、それとほぼ同じキャストで再演される。舞台練習はそれほど必要ないが、四回の公演で、翌シーズンにもう一度やるのだろうか。やるとすればオパーフェストでオールスターキャストか。そこである、バーデンバーデン復活祭ならば、カムペではなくて、恐らくヤコブス指揮「レオノーレ」で歌ったペーターセンの再演だろうか。するとキャストは全く重ならないので、上演占有権を犯す可能性もないだろう。

来年からのキリル・ペトレンコのスケデュールを考えると、いかに合理的に練習時間や勉強時間を嵌め込んでいくかにかかっているようで、コンサートレパートリーの拡大と同時にミュンヘンでの二つの新制作を基本に、再演を振るとしても次ぎのレパートリーとの関連でしかないということが分かって来たからだ。古い演出を四日そしてもう二日ぐらいのためだけに準備するとは到底思えない。更にバーデンバーデンではロシアものとか大掛かりなものよりも中編成のベルリナーフィルハーモニカーをスーパーオペラ向きに仕込むには使える曲である。出来れば演奏会形式を予めベルリンでやってきて欲しい。

バーデンバーデンの劇場にとっては予算も少なく、フロレスタンにフォークトなどの人気者を呼べば間違いなく経済効果大の話題の上演になる。そもそも最初から面倒な出し物をやる必要などはなく、精々コンサートでの第九も合唱団もそのままでみっちりと合宿して貰えば、上質な上演を安くあげられる ー いやいや「ミサソレムニス」をジルフェスタ―に続きバーデンバーデンに入れる方が正解だ、それなら合唱団はフィルハモニアヴィーンでいい。

シカゴ交響楽団をサロネンが指揮したマーラーの第九の一部を聞いたが、予想以上に悪かった。嘗てはもう少しメリハリの効いた指揮が出来ていたと思うがどうしたことなのだろう。プロムスからの中継も酷かったがまさかシカゴでもあまり変わらないとは驚きだ。この人ほど老化の早い指揮者を知らない。その売りがなくなると殆ど聞くべきものの無い指揮者でしかないと思うのだが、なぜかシカゴはこの人を頻繁に呼んでいて、まるでムーティの後を任せるかのようにさえ映る。前番組で流れた演奏などは昔の素晴らしさが聞かれたが、一体いつ頃からこんなに悪くなったのだろうか?前々回の二十年ほど前にバレンボイムが振っていた時はまだまだアバド指揮のフィルハーモニカーより上だった。



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by pfaelzerwein | 2018-11-27 23:22 | | Trackback
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