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歌劇とはこうしたもの

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来週はチューリッヒでコンサートなる。車中でモーツァルトは聞けたが、ベートーヴェンの録音は忘れていた。週末にはこれをお勉強しなければいけない。「フィデリオ」はベーム指揮のベルリンでの録音を聞いた。

先ずは忘れないうちに、特に三幕を思い出しながらまたメモを読み返して、「影の無い女」を振り返ってみたい。いつものように調べておいたゲンゼマルクトの駐車場に早めに車庫入れした。17時50分からガイダンスなので、開演一時間前の17時30分を目指して、17時過ぎの車庫入れだ。既に劇場前には寒さに拘わらず人が列をなして立って待っている。時間と熱意のある人ばかりである。ミュンヘンでも道路に列をなして待っているのを見ると、今や主役は68年世代で決して配給待ちなどをした人たちではないのだが、ドイツ人も並ぶのが好きである。

私は馬鹿らしいので、暫く近辺のレストランなどを物色して回り、戻ってくると開場していた。早速地階でコートを預けて、二階カンティーネの会場に入ると椅子を各々並べて陣取っていた。これを目指している人たちなのだ。その内容は、音楽的な説明は殆ど無かったが、演出と文学的な説明は十分にあり、特にクリーゲンブルクの演出に関しては本質をついていたと思う。

つまり、そもそもこの原作がホフマンスタールの作詩としての仕事であり、舞台台本志向ではないこと、そしてそのメルヘンとしての多層性へ夢物語へと話しが進む。つまり、皇帝夫婦と染物屋夫婦の二組の対応とその心理的な流れとして、飽く迄も超越した視線として捉えられていることが重要である。劇場名作の多くがそうであるとは思うのだが、要するに構成であり、ここでの演出はそれを垂直方向へと舞台を拵えたということである。そして最も重要なのは、そうした高踏的な視点だけではなく、当然オペラ上演としてのエモーショルな面を作曲家が留意したという点である。その両面からの各々ホフマンスタールとシュトラウスの葛藤は殊に有名だ。

このガイダンスの明確さに、結果的には今回のハムブルクの公演がなぜミュンヘンのキリル・ペトレンコ指揮のヴァリコフスキー演出よりも成功していたかの回答があった。勿論その時は分からなかったので、あまりにもシムプル過ぎないかとも思い、また講師の女性文化委員の標準ドイツ語の明白さになにか物足りなさもあった。要するに単純化への危惧でもある。

実際、音合わせがあり、先ずこの時点でその楽器配置が所謂ヴァイオリンからヴィオラまで扇方に並び狭苦しい奈落に押し込まれているのを見ると大丈夫かなと思った - 調べてみるとやはりこの楽劇でもペトレンコは対向型配置で演奏させている。そしてナガノが出てくると楽員を立たせと、これまた音楽劇場らしくない。拍手を受けるのはいいとしても違和感があった。ペトレンコなどは演出によっては奈落の壁の向こうに隠れ潜んでいて、手首の体操と業務連絡をしており、照明が消えてからこっそりと指揮棒を取る。

最初の総奏からまずまずだが、オーボエソロなど決まらなく、木管のアンサムブルなどが音色重視で定まらない。前日のペトレンコ指揮の残像があるのでナガノの指揮を凝視するが、どうもそれが音楽に上手く反映されていないようで、事前に聞いていたようにダレがあり、もはやキャリア的に頂点を超えてしまった音楽監督の棒の威力はこの程度かと思ってみていた。なるほどこれだけの編成では、マンハイムなどではごたごたになるが - だからそんな難しいものは演目に上がらない -、フランクフルトよりは少し良いぐらいで、それでもジンタのように如何にも座付風に刻まれるところもあり、これはミュンヘンと比較にならないと思っていた。

指揮自体は、当然のことながらペトレンコ指揮ではないので強拍のアインザッツでしかリズムを刻まない感じなのだが - 勿論抜きは昔よりも鮮やかになっていると思ったが -、例えばゲストのコッホのバラックのドイツ語と何となく齟齬が出てきて歌い難そうだ。ペトレンコの指揮が如何にドイツ語の歌詞の明瞭さには期待出来ないと言われてもそこには違和感はない。そこがナガノがオペラ指揮者としてドイツでは大成功していない原因である。

それでも管弦楽譜のシステムの相違などが明白で、可成り読み込んで指揮しているのは分かった。その成果が、コッホの名唱場面の一幕での「啓蒙への高みへの歩み」での声部間の扱いなどとても効果的に鳴らしていた。ここだけでも嘗てザルツブルクでオペラを振っていた頃のナガノとは異なっていた。(続く



参照:
影を慕ってハムブルク 2018-12-16 | 文化一般
ハムブルク行の計画 2018-12-15 | 生活


by pfaelzerwein | 2019-01-11 23:54 | 文化一般 | Trackback
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