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リューネブルガーハイデへ

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ハムブルク旅行の成果は幾つかあった。エルプフィルハーモニーとシュターツオパーの初訪問については触れた。あと二件の目的地があった。その一件が郊外の所謂リューネブルガーハイデと呼ばれる地帯で、私が関心を持ったのはマルティン・ハイデカーが奥さんに充てた手紙からだった。ハムブルクでカッシラーの招きで講演した際にヘッセンのマールブルクに充てて出した私書である。

丁度今回もハムブルクからヘッセンを通過してマールブルクを掠めて戻ってきたが、ハイデカーと同じようにハイデ地帯とハムブルクの間に二泊した。双方へと二十キロほどで車で20分ほどの距離である。前回ハムブルクの空港に向かった節も途上で近辺を通ったがその地帯に車を乗り入れ立ちいることはなかった。

現象学者は、フィルップ・オットー・ルンゲの絵画から興味を持って、招聘したカッセラー教授のお弟子さんのところに宿泊したとなっている。カスパー・フリードリッヒなどと同様にロマン派の先駆けとされている絵画で、そこに同じように北ドイツの風景を描いているようだ。

地質学的には嘗ての氷河期のモレーンで、アルプス地方などで馴染みがある地勢なのかもしれないが、平坦なところに広がっているのでまた異なる。まさしく荒野である。だから農作などが出来無かったところで工夫して集落をなしているといった地帯である。だからその藁ぶき屋根や特殊な作柄が観光の対象になっている。一番有名なのは春のエリカの季節だろうか。今は明らかに閑散期で誰も訪れないが、湿った場所などに霜柱のような山が出来ていた。何処でも歩いては入れなく、また寒いので適当にして退散してきた。馬車で奥へ進んだり歩いて回らないといけないようだ。
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翌日はホテルから直接帰路についた。連日午前様で就寝時刻が遅く、朝のビュッフェの朝食を逃がさずに、チェックアウトに送れずに出発するのが精一杯だった。だから出発したのも11時過ぎで、都合悪いことにハノーヴァー過ぎてからのアウトバーンが工事で閉鎖されていて迂回路で苦労した。迂回路で待っていても渋滞で燃費だけ悪くなるので機転を利かして大回りでアウトバーンの先へと地道を走った。殆どザルツギッターとか殆ど昔の国境線に近づくような印象を持った。如何にも土地勘がないという感じなのだが、何もない村から村へと走り回ると何となく馴染みが出来る。

幸い次の入り口くらいまでは殆ど車もなく走って、燃費も落ちず距離もそれほどでなかった。結局ワイン街道に戻ってきたのが16時過ぎで、八百屋に寄って帰宅すると17時ごろだった。結構な距離で結構な時間で、運動をしていない分腰に堪えた。

ホテルの朝食の子魚など海に近いことも食生活の違いも楽しめたのだが、それでも遠い。ベルリンへとなると更に200㎞ほど余分に走る。車では年に二回ぐらいの往復が限度かなと思う。ミュンヘンやルツェルンとは違うのは分かっていても、パリよりも遠くなると心理的にも本当に遠い。

因みに満タンにした燃料はリュネブルガーハイデの近くの町で給油して ― スタンドを聞いたおばさんが「ブクステーデから来ているから一寸難しいわ」と答えた ―、それでもこちらで入れた価格より125セントで安かった。そこからハムブルク市内を往復したのだが、問題なくそれで帰宅できた。チューリッヒに出かける前にもう一度満タンにしないといけないが、その価格より下では難しそうだ。やはりエルベの港までの輸送とラインを通っての輸送ではコストが違うのだろう。



参照:
高みから深淵を覗き込む 2006-03-13 | 文学・思想
歌劇とはこうしたもの 2019-01-12 | 文化一般


by pfaelzerwein | 2019-01-15 04:14 | アウトドーア・環境 | Trackback
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