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テキサス親爺の来訪

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バーデンバーデンから最新のマガジンが届いた。復活祭の情報が主になっている。一番ページ数が多いのは「オテロ」のデズデモーナを歌うヨンツェヴァで数時間のインタヴューフォトセッションをベルリンでこなしている。バーデンバーデンではグノーのマルガリータで喝采を浴びたようだ。更にメータとムーティの二人の指揮者について、またベルリナーフィルハーモニカーのメーリンというヴァイオリニストについてのインタヴュー記事が載っている。それらを後にして最も先に読んだのは、演出家のロバート・ウィルソンのインタヴュー記事である。既にバーデンバーデンへと飛んできて舞台を調整している。

メータに関しては一月にアメリカでキャンセルしていたので、来週のフィレンツェでの出番まで心配である。するとその次にどうしても気になるのは「オテロ」の演出である。ウィルソン演出は今まで何度か経験しているが満足したことが無い。だからその語るところが気になって仕方がない。先ず知らなかったのはテキサスの親爺であって、その演出はハムバーガのトッピングのようにアメリカ的かと聞かれて、アジア的だと話し出す。それも日本的なようだ。全く気が付かなかった。演出家として14年目にして初めて日本を訪問して、能を鑑賞してから変わったという。もともと建築を学んでいて、幸運なことに建築と光から授業が始まったのが全てだったという。これを読むまでは絵画専攻かと思っていた。

そして能に最も影響されたのが、なんでもない話に殆ど内容と言葉と音楽にシンクロしない動きを知って、その現代性に打たれた。その動きの独立性に、そしてその深い情感に打たれたという。その後のウィルソンの演出は、自ら語るように音楽と芝居、美術と動きの間の緊張関係を活かした演出となる。なるほど光に関しては、その舞台を描く手段としての光の当て方であるとすれば、ウィルソンで有名な色彩的な舞台を思い浮かべれる。しかし、そこまでの緊張やシンクロ関係を壊した面白さは今まで感じたことが無い。記憶に残るのはその動きとアンバランスなジェシー・ノーマンのクマのようなステップだけだ。あれはシェーンベルクの「期待」だったが、なにか舞台を揺すっての「気迫」のようなものしか感じなかった。

演出に関してはミュンヘンのものが良く出来ていたので、それを超えるのは難しいと思う。やはりこの人の演出は美術的でどれだけ細やかな仕事をしてくるのか懐疑的だ。歌手もアンサムブルとして整わないだろうから、メータの指揮とベルリナーフィルハーモニカーの表現力に頼るのみである。恐らく少なくとも一晩はペトレンコも見に来るだろうが、どこまで纏めてこれるだろうか。

今回のマガジンでは一番売れていないシェーンベルクの晩のことには詳しく触れずに、オペラから売って行こうという戦略のようだ。次の直前の案内に広報されるのだろう。勿論その時は2020年のペトレンコ指揮のオペラが扱われている。



参照:
興業師からのご挨拶 2018-12-21 | 文化一般
一流の催し物の周辺 2019-02-10 | SNS・BLOG研究


by pfaelzerwein | 2019-02-16 07:28 | 文化一般 | Trackback
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