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「平和を」の心は如何に?

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「ミサソレムニス」最終日を聴いた。ガイダンスにオペラでもないのにも拘らず多くの人が集まった。比較的若い人もいた。私などが感じるのは、ミュンヘンであるから、そのミサ典礼文には馴染んでいてラテン語の知識も教育の高い人ならば楽聖以上に持っていると思う、それでもこれだけの人が何かを聞こうとしている。

音楽会について先ず手短に報告しておこう。先ず管弦楽の編成の大きさと合唱団が全員揃っていることは、情報を聞いており、更に今回の企画からして予想していた。コントラバスを並べて、大合唱団のバスを支えていた。そして歌手陣で驚かされたのはオッカ・フォン・デア・ダメロウで、最初に聞いたのがバイロイトのぶっといヴァルキューレであったが、その後重用されていて、メトでも活躍している。要するに便利ないい脇役さんぐらいにしか認識していなかった。それがどうだろう、コンサートであれだけの声量で、あれだけ細やかな歌を聞かせてくれるとは思わなかった。この分野では今トップクラスの人であると確信した。あの見映えで損をしているだけで、歌唱の実力は素晴らしい。ベルリンでも今後まだ引っ張られると思う。

ペーターセンの歌は難しい歌をこなしていて、重要な切っ掛けを作っていたが声の調子としてはもう一つではなかったか。マイスタージンガーでのダフィート役しか知らなかったブルンズも全然悪く無く、ナズミの低音も良く効いていた。

合唱は、なるほどソプラノの声質が十分に磨かれていなくて、なるほど歌劇場ではそれで通るが、大人数の合唱となると厳しいのだと分かった。考えれば分かるように殆どのオペラのソプラノは少人数の合唱が多く、ソプラノ歌手を差し置いて前に出てくることがそれほど多くは無い。その分、中域が確りしている方がいい。「タンホイザー」日本公演でも批判があったが、それはコンサート合唱団と比較すれば当然で、私がレフェレンス録音としているヘルヴェッヘ指揮のゲントの合唱団などのような特別な合唱団と比較すべきものではない。

その通り私がいつも言っているように管弦楽団も座付であれば、合唱団もアインザッツも更に遅い座付なのだ。どうしてもベルリナーフィルハーモニカーが弾いたらとか、第九はどうなるのかを考えながら聴くのだが、キリエにおいてもトレモロと対照的に必要なところはヴィヴラートを押さえ透明な響きを下敷きにして、クレドにおける情景の色付けやベネディクスなどの歌劇のようになるとこの表情が素晴らしく、あれは座付にしか出ないと思った。反面同じクレドにおいてのキリル・ペトレンコの指揮は遥かに厳しいもので、同時にそこにフォルハーモニカ―の響きを聴くと、とても物足りなかった。合唱もフーガをよくさらっていたが、歯切れのよい管弦楽にはスーパーな合唱団が必要となる。改めてペトレンコの音楽は劇場向きではないと思った。最後のアニュスディにおけるテムピのフィナーレの作り方も本格的な成果はフィルハーモニカ―との演奏を待つことになるだろう。

さてここからが本題である。そもそもこの曲を聞きに行くのに演奏者がどうだこうだという議論自体が誤りではないかという疑問がある。尤もな懐疑であるが、これは楽聖の音楽を考えるときの重要な議論となる。このミサソレムニスにおける完成までの経緯を考えれば見えてくるものがあり、予め言及していたこのミサ曲の形をとった創作が一体どのような作品であろうかという回答にも代わる。

ミサ曲として依頼を受けて、構想を練っているうちにとんでもなく規模が大きくなっていく、その創作の背景を見ていくと、例の第九の殆ど破廉恥な四楽章の意味も見えてくる。それどころかこの曲ではアニュスディに軍楽が出てきて更に平和を祈る。その意味の解説があった。それは一般的な社会情景の紹介つまりナポレオン戦争が欧州に落とした厭戦感でもある。丁度第二次大戦後の世界に似ていたという。大規模な破壊と犠牲者が出て、市民たちはもう二度とと思った社会情景である。

そこまでの説明であると、楽聖が「平和を」と書いた音楽が平和主義者のイデオロギーのための音楽としか考えられない。それならばあの唐突な感じの軍楽はあまりに幼稚ではないかとも思われかねない。第九のそれに負けないほどの馬鹿らしさになる。私はそこまで考えてヘルヴェッへ指揮の全曲を往路何回か聞いて、漸くこの曲の全体のプロポーションとその効果を把握できるようになった。正直ほっとした。つまり楽聖がここでこのような音楽をどのように挟んで次はどう、そして最後はこうといった設計図を作りながら細部の叙述法を確認していくということになる。それを裏付けするような逸話がガイダンスで出たのであった。(続く



参照:
腰を抜かすような響き 2018-12-30 | ワイン


by pfaelzerwein | 2019-02-21 23:52 | | Trackback
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