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総練習に向けての様子

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ペトレンコがブレゲンツに到着して稽古を開始した。今回はその様子を両国の通信社が伝えている。それによると、その小さな男が腕を上げて指揮をしだすと空気が変わるということで、直ぐにビジネスに向かったようだ。だから先頃の会見のこともベルリンのことも語らないという。

通常ならば二、三クールで済ますところをこの楽団はそこまで足を運んでくれたペトレンコに七とか八クールも時間を提供しているという。だからどこでよりもペトレンコの姿が刻まれている筈だという。そして多くの音楽家はペトレンコがそこにいた二年間の同級生であって、自動的に親称でつまりキリルと呼び合っているようだ。

これは、先日の会見でベルリナーフィルハーモニカーとしては敬称でペトレンコさんと呼ぶことにしたと報道があったので、その差異が際立つ。ブレゲンツで楽団員のティムパニストのハイコ・クレバーが応える。

「ここでは皆、彼とはDuだし、彼は勿論一流有名人だよ、それでも我々にとっては今でも彼は昔の儘だ。」

これを読むと、上の「ベルリンのことは話さない」と書かれている意味が分かる。皆が皆親しかった訳では無かろうが、そのような環境で練習が進めれれているということだ。

「彼は抜きん出ていた。時々教授もついて行けなかったからね。」とクレバーは続ける。

この報道で父親が二年前に亡くなったとあるから少なくとも再婚相手でなければ、十年前に亡くなったことを本人が語っているので誤りだろう。だから全ての情報は確証はないが、幾つかの情報が興味深い。つまり、二年の卒業ではピアノ科の卒業だったということで、指揮はヴィーンのビュシュコフ教授のところでとなる。当然ながらフェルドキルヒの学生時代に劇場でも練習のためのピアノを弾いていたりしている。24歳の時のイタリアの指揮セミナーに参加しているので、ヴィーンでの四年の中でフォルクスオパーの音楽監督にまで上り詰めていることになる。そして今、水曜日のGP、そして木曜日、土曜日の本番に向け稽古が進んでいる。

キリル・ペトレンコ指揮「悲愴」SACDの付録のハイレゾ音楽ファイルをダウンロードした。サラウンドは使っていないのでその効果は分からないが、ステレオ24Bit192kHzの効果は圧倒的だった。先ずは自身のデノンのプレーヤーでは直接聞けないDSD変換していないリニア―PCMで聞いてみた。明らかに明晰度が異なる。例えば二楽章のヴァルツァーのところでカフェーの中での笑い声を模した「わっはっはっは」が本当に屈託無く気持ちよく鳴る。SACDの方では若干沈んだ感じとなってしまっていた。

これならばDSD変換しないでいいかとも思う。実際には4楽章全曲で3GBの大きさの音楽ファイルとなる。これを再びDSD変換するとPCMのシャープさがより面的な響きとして落ち着いて聞こえる。要するにSACDに近似した響きとなる。

因みにコードは購入時のヴァウチャーとして換金されるので、通常に購入するのと意味は変わらない。その意味からは19ユーロという価格設定は中々微妙なところをついていて、「一曲で金取り過ぎだろ、泥棒」とならない設定である。



参照:
Warum ein Star wie Kirill Petrenko in Bregenz dirigiert, GEORG ETSCHEIT, dpa vom 14.5.2019
復活祭音楽祭のあとで 2017-04-13 | 生活
本物の一期一会の記録 2019-05-13 | マスメディア批評
by pfaelzerwein | 2019-05-15 19:59 | マスメディア批評 | Trackback
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