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気が違ったサムプリング

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ミラノのスカラ座からの生中継を二回も流した。原因は録音しようとしたらなぜか音量が途轍もなく足りなかった。直ぐに巻き戻しの出来るものと分かったのだが、簡単には音量調整が出来なかった。結局クロームブラウザーからの出力がパルスオーディオに出るようになっている、その出力がなぜか下がっていた。そして最初から再生し直した。

その前に、動画コピーの音声を音飛びしないように再生するように、プッファーの値などを調整していたが、出来る限りALSAを使うように心がけているのでPULSEの方を弄った覚えが無い。そもそもブラウザー出力が44.1kしかでないようになっていて、再構築の可能性を考えている。しかし生放送でそれほど不満を感じたことも無く、ストリーミングの実力も実はよく掴めていない。

だからこの月曜日の中継放送録音でも、気が狂ったかのように32Bit96kHzで録音していて、当然のことながらアップサムプリングとなってそれをそのままALSA経由で録音したものをALSAからDACに流すととんでもないハイレゾサウンドになっている。現場にいた感覚で、中継放送も流石にあれだけマイクを吊るしていただけに良かったが、こうして流すとやはり臨場感が甚だしい。批評すればセンターの混ざり方がもう一つで、テュッティのサウンドとソロのコントラストが若干小さい。

しかしこの気が狂ったような録音の問題点は現在使用中のPCでは音出しが大変で、NASからの転送もプッファーを拡大して、音飛びしないようにしなければいけないのは映像と同じであり、中々完璧な再生が難しい。

さてスカラ座からの中継は巻き直しで午前様になって録音を終えた。一言、ギルバートの指揮のこの音楽では秋にペトレンコが取り上げる意味が殆ど不明だった。要するにそれほどの関心を起こさせるものではなかった。ペトレンコがルネッサンス並みの読みをしてこないととてもではないが意中の作曲家でもなんでも無くて笑いものになるだけだろう。謂えば、リヒャルト・シュトラウスよりも優れた作品かどうかが問われる。

放送を流していて驚いたのは、PCのデャアルCPUが上に振り切れていたことで、たとえパルスオーディオを使ってもそこまでになるとは思っていなかった。PCオーディオはまだ分からないことがある。

さて映像の方は、他のプレーヤーを使っていたが結局はVLCの方が細かく調整出来ることが分かってそこに戻ってきた。こちらは兎に角キャッシュを百倍ほど大きくした。それでも音飛びするようなら画像を消すしかない。そのモニタコピーの質は維持しつつ音声だけは96kHzとこれまた気が狂ったコピーとなっているので、音だけでも悪くは無いのである。

要するに技術的にはアップサムプリングとなっていることは確かなのだが、今後も消去されずにアーカイヴとして使えるならば、現在は少々使い難くてもそれだけの価値は出てくると思っているからである。確かに高域の倍音成分や空気感は強調されるような感じは否めないのだが、全体のバランスが崩れたり歪感が増えたりはせず、質感も決して悪くはならない。



参照:
C:ディレクトリーの清掃 2018-10-26 | 生活
お見事な司会進行 2019-01-10 | 文化一般
by pfaelzerwein | 2019-05-29 23:44 | テクニック | Trackback
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