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指揮科教授のバイロイト

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2019年バイロイト音楽祭のプログラムをぱらぱらと見る。150頁近くあるが三か国語なので内容は薄い。肝心の演出に関しては関心零なので、指揮者ブシュコフのインタヴューを読む。中々興味深い。要するに彼の指揮した演奏を彷彿させる受け応えをしているからだ。取り分け重要なのはテムポに関しての質問とその指針について指揮科教授らしい答えを示している。

先ず、実演を聞いた私の印象は、拍をそれほど数えてはいないが、ブーレーズよりもペトレンコよりも遅いという事だった。ここで記されている数字は、全曲ブーレーズ、ペトレンコ、其々3時間38分、3時間50分に対して、4時間14分で、大体予想した通りだった。因みにトスカニーニが4時間42分で、序でにラトル指揮がコンサートで3時間39分で、私の印象からすると復活祭上演ではもう少し長くかかっていただろう。

要するにブュシュコフ指揮は明らかに遅い。しかし原典、つまり前盛期の初めごろまで祝祭劇場使っていた楽譜を参考にすると、その後は段々と遅くなってきたと言明する。それがクナーパッツブッシュ指揮やトスカニーニ指揮の演奏だったのだろう。指揮のシュトラウスが「私が早くではなくて、皆が遅くなったのだよ」と語っているという。同時に楽譜の細かなところに注目して冒頭の一弓の四拍、もしくは最初の五小節に亘るフレーズに注目する。若しくはどの言葉が正しく発せられるかによって、それを基準として全体のテムポが定まっていると、正しいテムポはどこを基準とするかの教育者らしい発言となる。勿論、その時の歌手の歌に合わせて変動するものでありということで、メトロノームなテムポがどこにあるかということになる。

同時にダイナミックスへの言及になって、ポコフォルテがフォルテがピュウピアノがどこに掛かっているかをつぶさに判断して、更にどの楽器がメロディーラインをそれを音程の高低によって出し方が変わり、同時に歌手の声が浮かび上がるように配慮するという。何か手の内を明かしているようなお話しなのだが、こうした具体的な話を読むと流石に教鞭をとる人だなととても感心する。

そうした舞台の上とのやり取りと出し入れで、音楽を作っていくのがよく分かる演奏であった。そしてその面白さは転生して行く音楽にあって、小節内でも起こる変容に言及する。自身のメモを読むと、最初のアンフォルタスの出だし後の管弦楽の受け渡しなどとても見事であって、放送で是非確かめたいところが幾つかあった。

そして、この指揮者が最初にパルシファルを祝祭劇場で経験した逸話が、全く私が言及していることに相当する。前から三列目に座っていたようで2004年の私よりも前かもしれないが、つまり最初の音が出る前から振動を感じてどこからともなく始まるというのだ。私が言及した箱鳴りにも相当していて、前記したようにこの舞台神聖劇へのスタンスは祝祭劇場での体験がどこに行っても付き纏い、それに限りなく近づけようとしたとある。それはある意味ラトルが、バーデンバーデン祝祭劇場の親切な音環境にバイロイトを意識しながら指揮したことともあまり変わらない。

恐らくこの指揮者はこの二十年でブーレーズ、ペトレンコと並ぶ名指揮者だとは思うが、結果は両幕中間部ミステリウムでの舞台に合わせた外しなど、あれ程クールで早いペトレンコ指揮に比べても効果が出ていなかった。余りにも配慮した演出の責任かそれとも教師然としたこの音楽家の限界か。逆に同じテムポでも深く掘れるかほれないかなどよっては楽団がどれぐらいの力量かなどで全く効果が変わる。如何にベルリナーフィルハーモニカー級の楽団がこの作品には必要か?(続く)



参照:
アホをギャラリーする 2019-08-17 | 文化一般
舞台神聖劇の恍惚 2018-03-25 | 音
by pfaelzerwein | 2019-08-19 21:36 | | Trackback
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