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音楽劇場化へと集中

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ベルリナーフィルハーモニカーのマガジン、ペトレンコ特集を読んだ。前半は、各場所に応じて各筆者が書いたもので、それを繋げるとベルリンまでのプロの指揮者としての道程が分かる。新聞等で話題になっていた特集だと思われるが、注文すると7ユーロもするので、先ずはネット版で読んでみた。

支配人ツェッチマンの冒頭の辞に続いて最初にクラスティング氏がマイリンゲンについて纏めている。歴史的な意味合いとハンスフォンビューロの時代、つまりバイロイト祝祭劇場の三分の一がマイニンゲンの楽師で「その個々の楽員がまるで一人の様に」と楽匠が感謝の言葉を書いているように、何とか衆の趣だったのだろう。シュトラウスへと、そして同様にビュロー死後のシュトラウスでのベルリンでの寄与があって、そしてペトレンコへと歴史の不思議を感じさせる。クラスティング氏の書くことであるからペトレンコ本人との対話で生じた文章であり、そこにはビューローのオペラでの処し方が、まさに「楽曲の意思の創造と再創造に」向けられた楽団主体のオペラ上演となっていて、ペトレンコ自身のオペラのあり方への並々ならぬ意志を感じざるを得ない。要するにミュンヘンでやっていることは全て確信に満ちた音楽作りであって、今後舞台がバーデンバーデンへと移って更に音楽劇場化へと集中していくのは間違いない。

新たに気が付いたクロニクムは、アバド指揮でヨーロッパコンサートが催されて二度目の訪問地として二万五千人の住人の726席の劇場で演奏会が開かれたのが1994年4月、そして暫くしてそこにペトレンコが赴任することになり、更に20年を経て、再びベルリンのシェフを輩出したことだ。ペトレンコがそこで指揮する機会は今後とも三つ目の地フランクフルトに比較しても可能性はないと思われるが、なんと不思議な繋がりかと思う。

二つ目はヴィーンでのペトレンコが描かれている。卒業試験コンサートで放送交響楽団をシュミットの交響曲四番とその前にハイドンの88番を振ったことから、カルロス・クライバーの「太鼓連打」と比較して、2014年が最後となった「ばらの騎士」の国立劇場での指揮を挙げている。卒業演奏会で著名な人物が「キャリアを始めなれば」と語ったようだが、実際はその後にフォルクスオパーでの修行時代があって、この文章ではその経緯は触れられていない。冷遇されたと呼んでも良いものだが、実質的に本人が後に語ったように、「質の向上のために何をすればいいかが分かった」と技術的な精査が可能になった時期としている。カラヤンをしてオペレッタなどを指揮することに比べれば「ヴァルキューレなんてお茶子さいさい」となる。確かにカラヤンを「その劇場での経験から」とする時に、所謂ジンタの楽団を如何にまともにトレーニングしていくかという事にもなる。また、コンサート出身の指揮者がマーラーなどで世界的に活躍していて、その後に古典などの曲で一生学び続けないのとはいけないのと正反対だとそこに書かれていることにも相当している。

フランクフルトでは、マイニンゲンやベルリンやミュンヘンほどにはペトレンコ運は恵まれていなかったがと、ザントナー氏が書いている。つまり2005年から2011年へと三回の新制作を受け持って、「パレストリーナ」、「ボリスゴドノフ」と「トスカ」を指揮している。二つ目のものでは聴衆に直接語ったというから、今もやっていて先日もヴィオッティが話していたようにロビーでのオリエンティールングで語っていたのだろう。

ヴィーンの人は、今後キリル・ペトレンコを聴きたければ、ザルツブルクかベルリン詣でをしなければいけない。嘗てのカラヤン時代のようだと書かれている。



参照:
インタヴュー、時間の無駄一 2016-07-20 | 文化一般
余りにも恵まれた境遇 2019-10-15 | 雑感
by pfaelzerwein | 2019-10-19 23:29 | 文化一般 | Trackback
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