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初めてのガラコンサート

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金曜日のガラコンサートの中継映像がオンデマンドになった。そもそもレパートリーオペラなんかには興味が無い者としては尚更ガラコンサートなんて記憶が無い。昔NHKで正月にやっていたそれのくだらなさとも結びついている。その点今回は筋がある程度通してあって、昨年のスカラ座でのそれ程こってはいなかったがそれなり観れた。但し230ユーロの価値に見合うのはキリル・ペトレンコが四曲振ったからであり、支配人バッハラー体制を振り返る企画だったからでしかない。

だから多くの歌手は馴染みでもあるのだが、その舞台では初めて聴く人もいた。例えばガランチャなどはコンサートで聴いているだけでオペラ舞台では聴いたことが無かった。そしてドニゼッティ―を歌っても声量もあって舞台での存在感もあって想定以上だった。もしかすると新体制でユロスキーの指揮で聴くことがあるのかもしれない。ペトレンコ指揮でバーデンバーデンでよりも可能性は高いだろうか。

翌日の「トリスタン」では楽屋連絡口から出て来たのはニナ・シュテムメだった。これは旦那と一緒だったが、ハイヒールを履いていたのかウロウロしていたが舞台よりも大きく感じた。来年その役を受け持つので舞台を観ておこうということだったのだろう。「愛の死」を歌ったがやはりこの劇場には声が無くて厳しい。一曲だけを歌ってもあれだから最初から歌うと最後は声が出ないかもしれない。

初めてはフォンオッターというメゾで、日本ではとても有名らしいが、DGの宣伝でしか見たことが無い人である。もしかすると昔ザルツブルクで聴いているかもしれないが記憶にない。しかしモーツァルト指揮者カリディスのピアノでモーツァルトを歌ったのだが、なるほどあの発声とやさしさは日本で人気がある筈だと納得した。

その他ではゲルハーハーがモンテヴェルディを歌っても流石で、伴奏を劇場以外の古楽グループをボルトンが指揮したが、こちらも様になっていた。アイヴォ―ル・ボルトンは一昨年の「アグリピーナ」でも素晴らしいヴェルヴェットサウンドを座付楽団から引き出していたが、ダムロウの歌った伯爵夫人以外もどの楽曲でも見事で、ある種のレパートリーではペトレンコを補い前支配人のヨーナスの遺産を引き継ぐにメータと共に最も重要な客演指揮者であったことを再認識した。

前音楽監督のナガノは神経質と言われる指揮をしていたが、楽団が自身がやっていた時とはランクが変わっていて当惑していたと思う。ハムブルクでやれないことを当時やれなかったのだから仕方がない。

ペトレンコの兄弟子とされるフィッシュの指揮が悪いことは分かっていたが、やはり何を振っても駄目だった。だから歌った歌手も含めて全く印象に残らない。その意味からはナガノが振ったツェッペンフェルトの「無口の女」は得意の曲かもしれないが聴かせた。やはり安定していて言葉の明晰な歌手である。

ペトレンコ指揮では、前奏曲から始まりコッホがマイスタージンガーの三幕を歌い、その二日前に圧倒的な上演のあったヨハナーンの首を「サロメ」のペーターセンが持って来て、フィナーレを歌い、彼女がマリオネッタとして残りながらヨーナス・カウフマンが「死の街」のフィナーレを歌い始めるという見事なリレーがなされていた。前半ではヤホの修道女アンジェリカから「フィデリオ」演出の四重奏曲へと繋ぐなど通っている人には想い出のアルバムとなっていた。

ペトレンコ指揮の演奏自体は、面白いことにこうやってばらで出されても乗ってこないのが座付楽団の性のようなものが感じられて、逆に如何に舞台があるからこそ楽団は入ってくるのだというのがよく分かった。

ペトレンコ指揮で最後に歌ったのがピエチョンカで、彼女は「影の無い女」で成功してカーネーギーホール公演でマルシェリンを歌ったが、想定以上に声もあった。北米からゲストで呼ばれる価値があり、ニームントなんかより本格派である。復活祭に呼ばれても不思議ではないと思うが、それは分からない。その背後に新「ばらの騎士」の時計が現れたが、まさに新体制へと繋ぐターニングポイントであった。

最後に歌ったゲルハーハーだけでなくて伴奏を務めたフーバーのピアノがこれまた圧巻だった。



参照:
首でも指揮の「トリスタン」 2021-08-03 | 音
竹取物語の近代的な読解 2014-12-31 | 文化一般
by pfaelzerwein | 2021-08-04 22:18 | | Trackback
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