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正当化へのナルシズム

シュテファン・ゲオルゲの初伝記を書いたトーマス・カーラウフがクラウス・フォン・シュタウフェンべルクについて触れている。トム・クルーズにだけ儲けさせてはおけないのかどうかはさて置いて、ハリウッドの作家による世界中の誰にも解る単純化された具象化は問題が大きい。なぜならばその対象がハリウッドにとっては複雑すぎるからである。

伝記の刊行以来、どうしてもフォン・シュタウフェンベルク兄弟関係の研究者からの反応が大きいようである。FAZ新聞には、ゲオルゲを慕い訪ねたビンゲンにて、クラウスが古城からナーヘ河方面を望んでいるように見える横顔の写真が載っている。ゲオルゲが魅了され、本人も以下のようなナルシズムに浸るような美男ではないようにも思うが、血が問題なのであろう。

„Ruhm und schönheit wenn nicht wir sie hätten / Des Staufers und Ottonen blonde erben“, dichtete Claus im November 1923

名声、美貌、もし得ていなかったとしたら ― 
シュタウファーの、オットーネンのブロンド受継いで、

クラウス 1923年11月

詩人は、16歳のクラウスと18歳になる兄ベルトルートと5月に出会って、「ドイツの秘蹟」として祭り上げたものだから、母親もゲオルゲの少年愛が心配になったのか、ハイデルベルクに詩人を訪ねた。フリードリッヒ二世の伝記を発表するカントロヴィッチュのもとに居候していた1923年6月のことである。こうして、二人の少年の運命は他の世界から切り離されたと綴られる。

1944年7月4日に二人は、「ヨーロッパの民の共同体を幸福に導くドイツの力を心得ている」と宣誓して7月15日に行動に移すが、果たせず、20日に初めてヒットラー総統の近くに置いたアタッシュケースの時限爆弾に着火する。

2007年はもう一人の反逆者で「非常時」に法廷闘争を繰り広げたフォン・モルトケの生誕百年であり、同年のフォン・シュタウフェンべルクと共に記念切手が発行された。

1933年12月、ドイツに裏切られたシュテファン・ゲオルゲの葬儀をロカルノで司った二人であるが、その後の1942年においてもヒトラー賞賛は変わらず、一方の先祖筋である軍人として、「非常事態」には少数のエリートが多数のために犠牲になる騎士としての覚悟があり、ゲオルゲのもっとも重要な教えである「行動」を守ってつき進んだとカーラウフはしている。

サイエントロジーとゲオルゲ一味を同様に扱われるのを嫌う、血のイデオロギーさえも第三帝国での「ドイツの良心」とすることで、自らを正当化したい者は少なくないようだ。



参照:
"Zu komplex für Hollywood" Interview an PETER STEINBACH(TAGESSPIEGEL)
"Den Dolch im Lorbeerstrauße tragen", Thomas Karlauf, FAZ vom 15.11.07
by pfaelzerwein | 2007-11-29 02:28 | 歴史・時事 | Trackback
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