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腹具合で猛毒を制する

腹具合で猛毒を制する_d0127795_6483259.jpg昨日はフランクフルトへと往復した。いつもの会に出席するので、少なく無い交通費を有効に活用するために、クラナッハの展示会に行く計画を昨年から練っていた。

クラナッハからバッハへの流れは大変興味深かったが、これはじっくりと改めて考えるとして、いつもながら車上でのラジオ放送の中身に注目した。

それは、昨年韓国語まで含めた数各語に訳された教養実用書「腹具合」の作者でマックス・プランク研究所の教育部門の所長ギゲレンツァー教授のお話であった。奥さんも米国で高名な社会学教授であったが、マックス・プランクの所長のポストを得てドイツへと二人揃ってやってきたと言う。

何よりも興味を持ったのが医療現場における情報の認識問題であった。そこでは、リスク管理の問題として扱われてもいたが、先日から話題となっている保険や医療の問題として捉えるとその議論の重要さが分かるのだ。

生物学をミュンヘンで学んだこともある教授は、乳癌の早期発見検診などの価値を統計学的に分析すると、その検査によって救われる筈の二十五パーセントの延命効果が実は生存率にして0.1%の意味しかないことを、疾病による死亡率以外の要素を挙げてもしくは癌検査陽性における実際の疾病率などを挙げることで論ずる。

ここまでは、先頃書いた個人的な信念めいたものの考え方「医者・薬要らずの信念」とよく似ているが、さらにBLOG「作雨作晴」で「人間と自然」と題して「高度化した医療の恩恵を被るべき人間自身の生命力は、肉体のみならず精神的にもむしろ退化」として書かれていることや、BLOG「雨をかわす踊り」で「異学の禁」と題して「この医師はその種の専門家だった。自分が習ったことを疑いもせずに(この疑いがないのだから「西洋医学」という名もつけるべきではないと思うが)覚えこんで、自分の情報にない事例にはお手上げだったというわけだ。」とより高度な立場で御二方が批判されている見解が、全く異なった視点からの上の教授からの提議に相当しているのである。

つまり教授の考えは、BSEや鳥ウイールス、先頃の英国でのピル騒動もしくはAIDS感染等に反応する社会を見て、現在の社会でのそれらの情報の受け止め方から、どうしても基礎教育においてこうした統計的な把握を身に付けられるようにしなければいけないとしている。

同じ姿勢は、学者における社会性の欠如として、人文科学者よりも自然科学者の方が社会性があり、そうして実証性が頭脳の中での行いではなくて学会などを含む協調作業として存在することを、より一般的な表現で語り表わしている。要するに人間が本来もっとも必要とする直観力をして、それをキーワードとしている。

教授の見解にコメントすれば、毒を毒で制するのはやはり容易ではないが高度に発達した文明の中で文化的に行える唯一の対症に違いない。BSEなどへの過剰反応にしてもそこには工業化された食品供給のビジネスが存在して、避妊ピルにしても、医療全般にしても産業化されて、全ては資本の回収に向けられていることを忘れてはいけない。こうした猛毒を、ほんとうに高度にアカデミックな教育でなくて基礎教育においてもしくは人間の教養や直感と言うソフトにおいて制する事が出来るのかどうか、関連の話題でももう少し考えてみる。
by pfaelzerwein | 2008-01-17 06:51 | 生活 | Trackback
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